面会する人や訪問する場所には注意している
ある時から、人々と面会したり、訪問することをためらうようになった。
あまりにも変なことが起きるから。
伊勢に2人の人が会員になったので、会いに行った。
帰ってから、電話があった。大変なことになったと。
そのうちの一人の家が全焼したと。
家の中でストーブをつけていたが、いつもは大丈夫だったが、今回は違ったと。
しかし本人は「仏壇も焼けてかえってよかった」と言った。
その後、2人とメールなどでやりとりをしていたが、あることをきっかけに関係が悪化した。
それ以来、こちらが連絡をしても返事がない。
結局、互いに縁がなかったということなのだろう。
縁というと仏教臭いが、本来、神の道をともに歩む間柄ではなかった、そのようには予定されていなかったということなのだろう。
もし本当に救われていれば、関係は修復されただろう。
こちらは、「自分に非があれば謝罪する」と申し出ていたのだから。
面会しているときも、「神は三位一体なのか。三位三体なのではないか」としつこく聞いてきた。
素直ではなかった。
基本教理において無理に相手を同調させたくはないし、強制などもってのほかである。
こちらが行うのは、ただ聖書の言葉を語るだけ。
あくまでもそれを拒むならば、聖書にあるように「足のチリを払って縁を切る」しかない。
教理的に同調し、調和がある人の場合には、面会後に変なことは起きなかった。
どうやら頑固な人の場合に、そのようなことが起きるようだ。
ある教会の夕拝に出席しはじめた。
しかし、礼拝後牧師といろいろと会話したが、しばらくしてその夕拝を廃止した。私に来てほしくなかったようだ。
彼は、片目の視力を失なった。
かつて同じ教会に所属し、私の活動を執拗に批判した人は、車に巻き込まれて死亡した。
やっかいな裁判に巻き込まれた人もいた。
セオノミーを「危険な教え」と断罪し、私を追い出した牧師は、その後、大きなトラブルが発生し、教会の会員の大半を失った。
こちらのアドバイスを聞いている間は元気だったが、逆らうようになってから悪霊の猛烈な攻撃を受け、完全に支配されるようになった人もいた。
同郷で、同じ教会に通い、同じアパートに住んでいた男性がいた。
最初、助言を聞いて素直にしたがい、すごく元気になった。
しかし、私のある欠点を見て、私をさげすみ、意見を聞かなくなった。
悪霊に憑依され、奇行が始まった。
銭湯で、湯船のヘリに座ってずっと一点を見つめて長い間動かない。
コンビニで、冷蔵庫に入ったペットボトルをじっと見つめて長い間同じところに立っている。
教会のホールで見かけたときは、一人じっと椅子に座って一点を見つめていた。
「イエス・キリストの御名により、悪霊よ出て行け。」というと、中の霊が暴れ出して「わー」と叫んだ。
アパートの部屋の中で火を出して、畳を焼き、大家さんにこっぴどく叱られた。
しばらくして北海道に帰った。何年かして、長老から自殺したと聞いた。
大和で伝道しているとき、大学時代の知り合いの男性から連絡があった。
中国語学科に入ったが、大学が合わなかったのか、留年を繰り返していた。
私が所属していた聖書研究会というサークルに出入りしていたが、部員たちの勧めにもかかわらずクリスチャンにならなかった。
連絡をもらったときは、どこかほかの大学に所属していた。35歳くらいになっていた。
いっしょに横浜の中華街に行った。「教会に来てください」と何度も誘ったが返事はなかった。
そのうち、サークルの旧友から葬儀があると連絡があり、出席した。彼によると死因は自殺であった。
本当のクリスチャン同士には、親和性がある。
互いに話が合う。
しかし、これらの人々には本当の意味で話は合わなかった。
どうやら私は、最終段階にある人や組織に送られるようだ。
最後の選択を迫るように召されているのかもしれない。
こちらは、聖書的な言葉を伝えるだけ。
受け入れるなら命に、拒むならば滅びに導かれる。
それゆえ、面会する人や訪問する場所には注意している。
2016年6月14日
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