以前から「ヨルダン川を渡るサインとして奇跡を行ってください」と祈ってきた。
神は、われわれに世界を明け渡す計画をお持ちである。
世界は、神の御心の行われるところとして創造されたので、このままイルミナティが世界政府を作って世界を支配することを許されない。
神が統治者として指定されたのは、キリスト族となったわれわれであって、イルミナティではない。
ノアの預言では「ヤペテはセムの天幕に住み、カナンは兄弟のしもべになる」のであるから、セムが世界の支配者になるべきである。
イエス・キリストはセム族であった。
それゆえ、われわれもキリストにあってセム族である。
しかも、遺伝子的に、日本人は、セム族から出た縄文人の子孫であるから、文字通りセム族である。
日本人クリスチャンは、二重の意味でセム族であり、それゆえ、統治者として任命されていると言える。
イエス・キリストは紀元70年に世界の王座に着かれた。
それゆえ、法的に、世界はセム族に支配されている。
聖書における支配は、
1.法的宣言
2.実際的占領
の2段階で行われる。
神はまず、ヨシュアとカレブに「わたしはあなたがたにカナンの地を与えた」と宣言された。
そして、彼らは、実際にカナン人と戦って、占領した。
2が行われるには、1がなければならない。
イエス・キリストは、世界の王であると宣言された。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイ28・18)
わたしはすでに世界を征服したのです。(ヨハネ16・33)
世界の所有権は、サタンからキリストに移行した。
アパートの権利書があれば、住民に立ち退きを要求できる。
同じように、世界の所有権があるので、キリストにはサタンの立ち退きを要求できる。
サタンがいかにも強い存在として描かれることが多いが、実は「世界に対する法的所有権を失った」根無し草なのである。
だから、サタンが所有しているいっさいのものは、キリストにあって、われわれの命令により、われわれの手に入る。
サタンはそれを明け渡さねばならない。
もしあなたが、悪霊に取りつかれて苦しんでいるならば、こう言ってほしい。
「悪魔よ、お前にはわたしをコントロールする権利がない。私は、イエス・キリストが身代わりに死んでくださり、私の負債を完済してくださった。お前にはすでにその金がわたっているはずだ。だから、イエス・キリストの御名により出ていけ」と。
イエス・キリストは、十字架において、被造物が背負っていたすべての負債を完済された。
世界はイエス・キリストによって買い戻された。
だから、今、この世界がサタンに牛耳られているのには、法的根拠はまったくないのである。
サタンは、すでに支払い済みの商品を明け渡さないコンビニの店員のようなものである。
われわれはサタンに対して「金は払いましたよ。だから、その商品を渡してください」と言える。
イエス・キリストが世界の代金をすべて支払われたので、世界は彼のものになった。
だから、世界はキリストと一体であるわれわれの手に入るのである。それは、当然の権利である。
法的所有権の宣言を受けたヨシュアとカレブはその宣言を信じて、カナンの地に攻め込んだ。
攻め込む最初にヨルダン川を渡らねばならなかった。
ヨルダン川に一歩踏み込もうとしたところ、奇跡が起きて、強い風が吹いてきて、乾いたところが現れた。
それが、進撃のしるしであった。
われわれは、世界を所有する権利を信じて、まず一歩を踏み出すべきである。
その信仰の行為に応じて神が奇跡を起こしてくださる。
だから、私は奇跡を起こしてくださいと祈ってきた。
われわれは信じる者として、一歩ヨルダン川に足を踏み入れなければならない。
世界征服は可能だと信じて動き始めるならば、奇跡的に道が開けるだろう。
今日、なぜキリスト教が弱くなってしまったのか。
われわれは、ディスペンセーショナリズムによって「世界は何をやっても変わらない。再臨があれば変わるだろうが」と信じこまされてきた。
未来に勝利するのではなく、「今」勝利するのである。
道が開けたことが確信できるような奇跡を待望しよう。