1.
中国の工作について、フェイスブックである方からの情報。
2016年に私が誘われた時の条件は、実動なら東京 沖縄は日当2万円でそれ以外の場所では一律1万円、ネットだと1行 45 円という条件でした。行数でではなく1件幾らという契約もあるがいくらかは分からないと言われました。私を誘ってくれた人が、1件幾らではなく1行 45 円でやっているからだそうです。
色々教えていただいた後、丁重にお断りしました。(フェイスブック:田母神俊雄 応援団)
活動家は、カネで動いている。
そのレベルのものだ。
こちらが中国以上にカネを出せば言うことが180度変わるような連中。
信念も何もない。
下劣極まりない人間である。
2.
人を一番誤らせるものは「人からの評価を得よう」という動機である。
人生は短いので、人の歓心を買うための努力をする余裕はない。
実質的なことを行うので精一杯である。
市場は、人の結果しか見ないし、見なくてもいいので、市場での価値を絶対視すると道を誤る。
たとえば、ある会社がいかに努力したとしても、欠陥商品を売ったら批判されるべきである。
そういう会社は、いずれ淘汰され、消えていく。
人や企業が金銭を得ようと思ったら、良質の商品を提供しなければならない。
だからと言って、自分が市場の評価を気にして、短期的な評判に右往左往するなら、それは、金銭的な損失では補填できないほどの「契約的」な損失を負うことになる。
上記の活動家のように、目先の利益のために自分にとってもっとも大切にすべき「神の利益」を損なうなら、得られた金額の何百万倍の損失―つまり、契約的呪い―を被る。
どのように反論しようが、世界は神の被造物なのである。
神の利益を中心に、世界は動いている。
神が主権者の権限によって一方的に被造物と契約を結ばれ、被造物には「契約的義務」が課せられている以上、それに違反するならば、負のフィードバックが返ってくることは避けられない。
悪人は、ナイヤガラの滝の滝壺の手前で流れに逆らってボートを漕いでいる人のようなものである。
一時的に上流に進むことはあっても、絶対に成功しない。
滝壺に落ち込むのは時間の問題である。
中国共産党が滅亡するのは運命なのである。
中華人民共和国が世界支配するなどということは、絶対にないのである。
習近平が必死に努力しているその努力は、必ず水泡に帰する。
神の法に逆らい、世界中に不幸をまき散らしている中国政府は、いずれ破滅するのである。
この世界でもっとも確実な法則とは「契約遵守者は祝福され、契約違反者は呪われる」という法則である。
神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、
栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。(ローマ2・6-10)
3.
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」
主は彼に仰せられた。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせよ。
また、ニムシの子エフーに油をそそいで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。
ハザエルの剣をのがれる者をエフーが殺し、エフーの剣をのがれる者をエリシャが殺す。(1列王記19・14-17)
イスラエルが悪に染まって堕落していた時代に、預言者エリヤは神に従い、それゆえに孤立していた。
「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」
悪が勝ち、善が負ける時代において、エリヤはぶれなかった。
神はエリヤの祈りに答え、救いをお与えになった。
救い出す者を用意しておられた。
ハザエルをアラムの王とし、エフーをイスラエルの王とし、エリシャを預言者として立てられた。
どんなに悪人が栄えていても、神が立てた人々による裁きから逃れることはできない。
ハザエルの剣をのがれる者をエフーが殺し、エフーの剣をのがれる者をエリシャが殺す。
神が一端動き出せば、悪人は徹底的に殲滅される。
人間の知恵は通用しない。
悪人側のあらゆる対策はことごとく失敗する。
逃げても逃げても、神の裁きは追ってくる。
「天網恢恢疎にして漏らさず」である。
これは、「天網は広大で目が粗いように思えるが、決して悪事を逃さない。悪事はいずれ必ず報いを受ける」という意味である。
4.
中国や韓国に進出した企業や個人は失敗している。
進出を境に、落ち目になることが多い。
本人はまともでも、誰と手を組むかで失敗する。
なぜか。
その相手の契約的呪いが伝染するからである。
契約は「一つの釜の飯を食べる」ことを意味する。
聖餐式では同じパンを食べ、葡萄酒を飲む。
食事をともにすることは、契約の行為なのである。
契約の当事者は一体化する。
だから、悪い信者と食事をともにしてはならないと書いてある。
私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。(1コリント5・11)
相手が悪事に染まっているならば、その悪事の「共犯者」になってしまう。
子供が不良グループと接触していることを知ったならば、引き離すべき理由はここにある。
子供は、そのグループと契約的に一体化し、悪人に変わる。
そのグループに下る呪いが、子供にも下ることになる。
今、アメリカが中国への制裁に動いているときに、新たに契約を結ぶトヨタは、中国が受けるはずの呪いを受けるだろう。
「経済活動と倫理は関係がない」とは言わせない。
愚かなのである。
無神論者は契約を知らないので愚か者なのである。
賢い人は、一日でも早く、悪者と手を切るべきである。