危険をできるだけ回避せよ
体罰で自殺した青年。
なぜ自殺する?
クラブを辞めればいいだけの話だ。
クラブがあまりにも自分にとって大きな存在であったとしても、自分の命ほどではない。
クラブをやめて離れて見れば、それがいかに小さなものであったかわかるはずだ。
自分の命も他人の命も、神から「委託」されたものである。
だから、勝手に奪うことはできない。
自殺した人の受ける刑罰は、殺人者のそれである。
われわれ人間は、可能な限り生きなければならない。
簡単に殉教する人がいるが、そんなのは間違いだ。
たとえば、殉教者ユスチノスは逃げられるチャンスがあるのに進んで殉教したという。
これは「禁欲思想」である。
ギリシアの行者が、「いかに現世を軽んじるべきかを示すために」オリンピックの火の中に飛び込んだという話がある。
肉は汚れており、霊は尊い、という霊肉二元論に支配されると、自殺が奨励される。
ローマ・カトリックは、ギリシア思想の影響を強く受けているので、死を強調する。
イエスの十字架の死を講壇に飾る。
これは、聖書の教えではない。
聖書は、「地を従えよ」との命令を守らせるために人間に命が与えられたとある。
だから、われわれはできるだけ危険を回避し、健康を保ち、そして、地を従える仕事にできるだけ長い間従事すべきだ。
イエスも迫害が激しくなるとユダヤ人指導者から身を隠された。
自ら十字架にかかるためにエルサレムに入城されたのは最後の最後である。
それは、十字架にかかることによって人類の罪をあがなうという目的を達成する時期を悟ったからである。
それまではできるだけ危険を回避された。
本当のキリスト教は、死に着目するのではなく、生きることに着目し、仕事をすることを価値観の中心に据える。
死を愛する思想は、サタンの思想である。
死にあこがれると、死ぬことが目標となって、強い誘惑になる。
自殺サイトとかを見てはならないのは、「死への誘惑」の霊が満ちているからだ。
いったん罠にはまると死にたくてたまらなくなる。
誘惑に打ち勝つ方法は、悪霊を追い出すことだ。
できるかぎり危険を回避し、死に結びつく習慣をやめ、長生きをして神の国のために働くべきである。
2013年1月14日
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