基準を失った千葉市は呪われるに値する


1.

聖職者の不祥事によって、活動が制限されている。

たとえば、ミレニアムの活動を通じて、全国に救われた人が散らばっているが、その中には女性の方々がが多くいらっしゃる。

私は男性なので、単独で女性と会うことは誤解を招く恐れがある。

そのようなことに抵抗がある方々がいらっしゃるので、それを控えている。

たしかに、そういう不祥事をたびたび耳にするのでそのように感じるのは当然である。

近所の教会の牧師もそのような事件を起こした。

まず教職者として女性に対しては次のように考えるべきだ。


年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。(1テモテ5・2)

つまり、牧師や伝道師は、異性の信者を親族のように接するべきである。

もしそのように接することができないならば、失格であり、説得力を失う。

昔、予備校で教えていたころ、同僚の先生に誘われて飲み会に参加して、びっくりした。

話題がもっぱら女子生徒についてであり、ある先生によると、各人に一人ずつ愛人の生徒がいると。

学生時代、先生と言えば、尊敬する対象であった。いくらおかしな先生でも、生徒に手を出す人はいなかった。

立場的に、先生たちは、何かを教えるわけだから、倫理的に一段高い所にいなければならないと自ら理解していた。

共産主義の影響を強く受けている日教組が「教師も労働者である」と言い始め、先生に聖職との意識がなくなったからなのであろうか、先生も生徒も、考え方が大きく変わっていた。

生徒との恋愛を扱ったTVドラマの影響もあると思う。

タブーが破られている。

2.

こんな世の中がこのままうまく行くはずはないのである。

神を舐めているから、このような崩壊が起きている。

すでに紹介したように、渋谷区や世田谷区に続いて千葉市が同性愛者に配慮する政策を打ち出した。

同性愛を推進して、裁かれないわけがない。

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。(ガラテヤ6・7)

同性愛という種を蒔けば、刈り取りは「天からの焼き尽くす火」である。

そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、
これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。(創世記19・24-25)

同性愛は、「植物」までも焼き尽くす。

3.

LGBTに関して質問したところ、千葉市から回答があった。

なぜLGBTなどのごくごく限られた人々のために、日本の良識ある大多数の人々が犠牲を被らねばならないのでしょうか。

(回答)

まず、「ごくごく限られた人々」とおっしゃる方々ですが、国内の割合として、3〜7%程度との調査結果がございます。

また、「犠牲」についてですが、「生きづらさ」を感じている方々は確実におり、市の職員が、正しい理解と、言葉遣い等の配慮をすることで、その「生きづらさ」を軽減することができます。そこで策定したものが、今回の「LGBTを知りサポートするためのガイドライン」であり、市の職員向けですので、市民の方々へ、何らかの対応をお願いするものではありません。

「3〜7%程度」をどうとらえるかだが、93〜97パーセントがそのような嗜好を有していないのであれば「ごくごく限られた人々」である。

それゆえ、「「生きづらさ」を感じている方々は確実におり、市の職員が、正しい理解と、言葉遣い等の配慮をする」必要はない。

同性愛や性同一性障害は、罪であって、身体や精神の障害とは異なる。

ヒューマニズムに立てば、これらは「個性の一種」であろうが、神から見れば「創造の秩序に対する違反」であり「反逆」である。

千葉市の側が「それはあなたの宗教の定義であって、市としてはそのように考えません」という回答をするならば、われわれは「千葉市は、神に敵対することになりますよ」という。

「LGBTを知りサポートする」つまり同性愛を支持するわけだから、ソドムとゴモラの裁きにあっても不思議ではない。

・今回の市の決定では、男女の性差を撤廃する方向に向かうということですが、ごくごく一部の性的嗜好者のために、なぜ大多数の人々の体操着のデザインを変更しなければならないのでしょうか。

(回答)

今回のガイドラインに関して、いくつか認識のずれがあるようなので、ご説明させていただきたいと思います。

 まず、今回のガイドラインは、「男女の性差を撤廃する」ものではなく、身体的にも精神的にも、様々な性が存在しているという認識を、市の職員が共有するためのものです。

聖書には「神は人を男と女とに彼らを創造された」とあり、その他の性はない。

神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。(創世記5・1-2)

したがって、「その他の性」は神の似姿ではなく、神が創造された人間からの逸脱であり罪である。

 次に、「ごくごく一部の性的嗜好者」については、1つ目の回答のとおり、国内の割合として、3〜7%程度との調査結果がございます。また、「LGBT」の「T」=「トランスジェンダー」にあたる方々は、「性的指向が異性に向かない」ことを指すのではなく、身体と精神の性認識が異なることを指しています。今回のガイドラインは「体操着のデザインの変更」等を指示するものではなく、教育現場においてLGBTの児童生徒が存在し得ることを、教職員間で周知し、当事者の希望に沿った服装を認めることを検討する、としたものです。

「教育現場においてLGBTの児童生徒が存在し得ることを、教職員間で周知し、当事者の希望に沿った服装を認める」とあるが、服装に関して、男に生まれた人は男の格好をし、女に生まれた人は女の格好をすべきである。

女は男の衣装を身に着けてはならない。また男は女の着物を着てはならない。すべてこのようなことをする者を、あなたの神、主は忌みきらわれる。(申命記22・5)

男装や女装は、神が忌み嫌うものであるから、御怒りを引き起こす。

千葉市は、神が忌み嫌うものを奨励しているので、裁かれる。

 最後になりますが、千葉市が今回のガイドラインを策定した目的は、市の職員が、LGBTについての知識を持ち、状況に応じた適切な対応や考え方を身につけるためです。市の職員向けに作成したガイドラインであり、市民の方々に対応をお願いするものではありません。

また、市の教職員がLGBTに関する知識を持つことは、子ども達に偏った教育をするのではなく、より幅広い教育に繋がると捉えております。

LGBTを罪とする教育が「偏った教育」なのか。

それは、神を「偏っている」と断罪することに等しい。

基準が、人間にあって、神とその啓示である聖書にはない千葉市は、その反逆ゆえに呪われるべきである。

 

 

2018年4月10日



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