日本の再生のはじまり
飛鳥昭雄・三神たける著『失われた古代ユダヤ王朝「大和」の謎』において次のように記されていた。
「『丹後風土記』には浦嶋子が日下部氏であると記されているが、日下部氏は海部氏と同族にほかならない。」
これは私にとっては衝撃の一文である。
なぜならば、1989年に知人の川口常仁氏が、たまたま真名井神社に行って、そこで六芒星を発見したからだ。
川口氏は、1991年ころに知り合った車のディーラである。いろんないきさつがあって一言では説明できない人であるが、ただ、この点においては、貴重な人物であると考えている。
氏は、あるとき、母方の先祖の郷里が同じお客さんの提案で、自分の出自を調べてもらうことにした。わかったことは、自分の先祖が朝倉一族だということだ。
織田信長に一族郎党滅ぼされた中で一人だけ青森に逃げた者の子孫だと。
その話を事務所でしていると、川口氏の下で働いていた学界で著名なアマチュア古代史研究家の堀井晃氏が「朝倉は、日下部氏だよ」と言った。
「ちょうど日下部氏の土地丹後に現地調査に行くから同行しませんか」と誘われた。
そこで、川口氏はお母さんといっしょに先祖の土地を訪れることにした。
旅館でたまたまくつろいでいたところ、地元の研究家とともに堀井氏が帰ってきた。
その研究家の目が、川口氏が机の上に置いていたキーホルダーの上に留まった。
それは、川口氏の牧師がイスラエルで購入した六芒星だった。
「このマークなら、そこの神社にありますよ」と。
川口氏はびっくりした。「なぜダビデのマークが、神社に?」
翌日行ってみると、籠神社の奥宮真名井神社の石碑にこのマークが刻まれていた。
その地元の研究家によると、長い間土の中に埋まっていたのだが、有志がお金を出し合って掘り起し、きれいな御影石にしたのだという。
それを見た川口氏、「自分の先祖はユダヤ人だ」と直感した。
お母さんは熱心な日蓮宗徒であったが、「おまえの信じる神様が私の先祖の神様なら信じる」と言って、クリスチャンになった。
不思議なことが起きた。
真名井神社のある山のうえに浮かんでいた密雲をずっと見ていたお母さんが、あの雲の中から「よく来たね」と先祖が温かく迎えてくれる感じがすると言った。
すると、見ている間にその雲が下にしずしずと下がっていった。
お母さんは亡くなるまで雲の話をいろんな人に語った。
興奮さめやらない川口氏は、あわてて東京の事務所にいた奥さんに電話した。
「おまえ、たいへんなことが起きたぞ。真名井神社という神社があってだな・・・」
奥さんはたまたま事務所の掃除をして、棚にあった埃をかぶった本をぺらぺらめくっていたところだった。
それは、教会の牧師が金沢の古本屋で買った『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』(三村三郎著)で、真名井神社について解説してあった。
「真名井神社って、ここにも書いてあるけど・・・」
ちょうど真名井神社について書いてあるページを開いていたところだった。
このような偶然は神がなさったとしか考えられない。
真名井神社は籠神社の奥宮であり、籠神社には浦島伝説がある。
だから、私にとって「浦嶋子(浦島太郎)は日下部氏である」という言葉は衝撃なのだ。
飛鳥昭雄氏の著書を読むまでは、川口氏からの情報だけであり、日下部氏についてもそれほど強い印象は受けなかった。
しかし、飛鳥氏によると、川口氏とほぼ同時期に氏も真名井神社について調べ始めたらしい。
そして、日下部氏の重要性に気づかれた。
これは奇跡である。
しかし、それは神がなさっていることなので奇跡ではない。
川口氏→真名井神社→籠神社→浦嶋子→日下部氏→川口氏
飛鳥氏の著書を通じて、話が一つにつながった。
1989年は、ちょうど平成に切り替わる年。
神はおそらく日本の再生をここから始めようとされたのだろう。
かつて与太話だった日猶同祖論も、今では多くの人が支持するようになった。
当時と比較すればまさに隔世の感がある。
再建主義と日猶同祖論、われわれの周りに重要な情報が集まっているということは、われわれが隠れた台風の眼であることに間違いはない。
2012年5月20日
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