教祖はキリストのみ
<O様>
Gary North と Rushdoony の仲違いについて、Northが述べている記事です。彼のサイトに載っています。
michael.k
I have the 25th anniversary edition of the Journal of Christian Reconstruction (Winter 1999). Gary, I know you were the editor of this journal for some years, but was the 25th anniversary edition the last issue published? Why did the journal cease publication, and what caused you to stop being the editor?(なぜJournal of Christian Reconstructionの25周年記念版が、あなたが編集者として最後の版になったのですか。)
GaryNorth
I was fired in 1981. Rushdoony never spoke to me again. He did not like my article -- mostly based on THE INSTITUTES OF BIBLICAL LAW ("uncovering the springs") -- that appeared in CHRISTIANITY AND CIVILIZATION. He said it was heretical. “Marriage Supper of the Lamb.”
http://www.garynorth.com/freebooks/docs/pdf/the_reconstruction_of_church.pdf
(私は、1981年に解雇されました。ラッシュドゥーニーはそれ以来私と会話していません。CHRISTIANITY AND CIVILIZATIONの私の記事が気に食わなかったらしい。異端だと述べた。)
azurebandit
Gary, thanks for being so candid about the circumstances. Seems like a pretty harsh response from Rushdoony, especially considering your relationship.(ゲイリー、率直に語ってくれてありがとう。ラッシュドゥーニーからかなり厳しいレスポンスだったようですね。)
But I also know that charges of heresy in the church are to be taken seriously. Was Rushdoony's response appropriate in that regard? Did he ever publish a formal position against yours?(しかし、教会における異端の断罪は真剣に扱わなければならないと思います。ラッシュドゥーニーの対応は、この点で正しかったのでしょうか。彼はあなたに対する正式な見解を表明したのでしょうか。)
I just want to add that, after reading the article, I've been enlightened in a blessed way. I don't see that the symbolism could be off-base; it conveys a much deeper complexity than our words ever do justice. It "just makes sense."(付言すると、その記事を読んだのですが、恵まれました。象徴が的外れなはずはない。象徴は、言葉よりもはるかに多くの複雑な事を伝えている。)
GaryNorth
He told my pastor to bring charges against me. He was not a member of any church. My pastor asked him: "If we find him innocent, and we decide to bring charges again you for false accusation, what church do you belong to."(ラッシュドゥーニーは、私の牧師に対して、私を教会戒規にかけるべきだと言いました。ラッシュドゥーニーはどこの教会のメンバーでもなかった。私の牧師は彼に尋ねてこう言いました。「もし私たちがノースを無罪と判断し、偽りの訴えをしたという理由であなたを訴えると決定した場合、どの教会に訴えたらいいでしょうか」と。)
He hung up.(彼は電話を切った。)
He agreed to adjudicate. John Whitehead (Rutherford Institute) was the mediator. I flew to meet him. He told Whitehead he would not met with me.(彼は、審査をすることに同意した。ジョン・ホワイトヘッド(ラザフォード研究所)が仲裁者となった。私はラッシュドゥーニーに会うために飛行機で向かった。ラッシュドゥーニーは、ホワイトヘッドに「ノースと会うつもりはない」といった。)
He never spoke to me again.(ラッシュドゥーニーは、再び私と話すことはなかった。)
He did the same thing to Jim Jordan, David Chilton, and Otto Scott.(同じことを、ジム・ジョーダンやデイビッド・チルトン、オットー・スコットにもした。)
(翻訳はtomiによる)
<tomi>
ラッシュドゥーニーの友人と1990年代の半ばに帝国ホテルで会いました。
彼は、ラッシュドゥーニー側として、ゲイリー・ノースがラッシュドゥーニーの功績を横取りしたと言っていました。再建主義を自分が始めたと。
これは、ゲイリー・ノースに問題があると思います。
明らかに創始者はラッシュドゥーニーです。
ラッシュドゥーニーは晩年に問題をかかえていたように思います。
彼は、アメリカをキリスト教の理想に基づいて建国されたと見、フリーメイソンの国であると見ることができなかった。
オットー・スコットとゲイリー・ノースは、アメリカの原点は、フリーメイソンであると見ていました。
この立場上の違いをラッシュドゥーニーは受け入れることができなかったのでしょう。
ラッシュドゥーニーの友人は、私がゲイリー・ノースの著作を読んでいると話すと、二度と電話してこなくなりました。
どうもラッシュドゥーニーのグループは、硬直化してしまった。
私は、ラッシュドゥーニーの著書は、基本を作る上で重要であると思います。
しかし、それは基礎であって、応用ではない。
応用は、ゲイリー・ノースらが行っている。
その応用への取り組みが、ラッシュドゥーニーには逸脱に見えたのではないか。
私は、ラッシュドゥーニーの弟子でもなければ、ゲイリー・ノースの弟子でもない。
独自に「応用」を求めている。
これでいいのではないでしょうか。
聖書から外れるのでない限り。
ラッシュドゥーニーは神ではない。彼の思想は聖書ではない。
人間の見解は、あくまでも参考意見でしかない。
それから、ゲイリー・ノースが、「ラッシュドゥーニーはどこの教会の会員でもなかった」と言っていますが、ラッシュドゥーニーは、自宅で集会を持って日曜日ごとに説教をしていたのですから、会員でしょう。
ラッシュドゥーニーと仲間のクリスチャンが集まったのを教会と呼んではならない根拠は何なのでしょうか。
2012年8月2日
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