神道はもともとローカライズされたキリスト教であった2


このように、物部神道の「元初の神」は、ウカノミタマ(稲荷神)と同一である。

既述のように、ウカノミタマは、景教徒であった秦氏の氏神であり、それゆえ、キリスト教の神。

すでに引用した海部氏の文章から「元初の神」は、天之御中主神、天の常立尊、ウマシアシカビヒコヂノ尊、国常立尊、豊受大神、天照大神と様々な名前で呼ばれているとわかる。

ここで、


ウカノミタマ=キリスト教の神=天照大神

という図式が浮かび上がる。

天照大神=イエス・キリスト説が、再び裏付けられた。

誰が反論できるだろうか。

天照大神の天岩戸伝説は、イエス・キリストの復活を表したものである。

伊勢神宮の鳥居に括りつけられる榊の枝は、天照大神を映した鏡がかけられた榊を意味する。




鏡は天照大神本人の象徴。

つまり、天照大神は、榊にかけられた。

榊=逆木であり、刑罰を象徴する。

天照大神は、木にかけられて処刑された。

榊が結び付けられた鳥居は、天照大神の犠牲を象徴する。

鳥居をくぐることは、くぐった人が天照大神の贖いにあずかることを象徴する。

茅の輪くぐりは、鳥居に茅の輪をくくりつけ、その中を通るときに、厄払いができるという儀式である。

茅の輪=血の輪である。

天照大神の犠牲の血の中をくぐることにより、罪が許されることを示している。

「お祓い」=「お払い」であり、「天照大神の犠牲の血で、罪の代価を支払う」ことを意味する。

天照大神=稲荷神であるので、伏見稲荷の赤い鳥居の列は、天照大神の犠牲の血の中をくぐって救われることを象徴している。

これは、紅海をくぐったイスラエルの民を想起させる。

紅い海=血の中をくぐる。

神道は贖罪信仰であり、「神が民のために死んで蘇った」などという物語が、人間の頭から生まれたはずはない。

神道は、もともとキリスト教であった。

これ以外の結論はありえない。

 

 

2017年2月27日



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