思想を軽視する社会は、自殺する社会である
預言者とは不思議な存在である。
自分の人生を振り返って、本当に「常識が通用しない」世界だと分かる。
他人から見れば私は無責任に見えるだろう。
常識人から見れば、「〇〇歳になってすべきことをしていない」と見れるだろう。
しかし、私の立場に立ってみればいい。
何もできなから。
常識人として下手に何かに手を付けるとする。
絶対に変なほうに引きずられる。
ビジネスを始めるとか、会社に入るとか、・・・
無数の体験の結果分かったことは「下手に動くな」である。
献身のために召された人は、絶対に次のことを確認させられる。
「自分は神殿の祭具として召された」と。
昔、レビ人は、土地を所有できなかった。
土地が所有できないということは、生産手段を持たないということと同義である。
レビ人は、浄財で暮らさねばならなかった。
そして、神はレビ人に対して必要なものを、生産担当の人々から受けるように定められた。
レビ人になることは、手足を縛られることである。
自分で何か生産活動をするようには召されていない。
教えと儀式に生涯を捧げるように選ばれた。
そのため、生産担当の部族から見れば、常識がないとみなされる。
学者や教師が社会常識から逸脱することが多いのもこういった「召しの違い」に起因する。
レビ人は、書物を読み、研究し、調査し、神の国の基本である御言葉の意味について専門家として活動するための資質を与えられている。
しかし、生産のための知識は不足している。農業の知識、商売や産業の知識、コツ、技能。
生産部門に属する人々は、レビ人を軽蔑すべきではない。
彼らは生産を行わない代わりに、御言葉について研究し、学者や教師として訓練を積む。
もしレビ人がいなければどうなるだろうか。
生産社会の基礎が攻撃される。
だから、生産社会そのものが崩壊する。
御言葉をしっかりと守るために活動する弁証家がいなければどうなるだろうか。
足元から神の国は崩壊する。
だから、生産活動を基礎づけているレビ人をないがしろにしてはならない。
社会の中核は、思想である。
それは、法律家や医者よりも中核に位置する。
法律家や教育者や医者は、思想家の思索に依存している。
インマヌエル・カントの思想革命を軽視する人は、まったく世の中を理解していない。
インマヌエル・カントは、キリスト教社会の中核を破壊した。
そして、そこに人間王国の基礎を据えた。
それ以来、キリスト教国は換骨脱胎の憂き目を見た。
かつてキリスト教国だった国々にはもはやキリスト教はない。
ヒューマニズムの国になった。
思想が変われば、社会の様々なシステムが次第にそれに合わせて変わっていくのは必至である。
思想を軽視する社会は、自殺する社会である。
2014年3月31日
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