なぜ日本にキリスト教が広まりにくいのか?2
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。(マタイ24・31)
これは、紀元70年に実現した。
なぜならば、
まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。
まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。(マタイ23・36、24・34)
とあるからである。
民族にとって滅びとは国土を失って離散することであり、集合は救いである。
バビロンの教えに毒された民(パリサイ派と追従者たち)は裁かれて散らされ、毒されなかった民(イエスを認めた人々、つまりクリスチャン)は集められる。
バビロン捕囚以降、世界に離散した人々でイエスをメシアと信じた人々は、集められるべきである。
どこに?
パレスチナではない。
なぜならば、パレスチナの土地にあったイスラエル国は紀元70年に破壊されたからである。
残って抵抗運動をつづけた人々は、バルコクバの乱により紀元135年に永久に追放され、パレスチナにユダヤ人はいなくなった。
ここで、神は、「パレスチナはもはやイスラエルの集合地点ではない」と宣言されたのである。
では、集合地点はどこなのか。
新しい集合地点がなければならない。
「いや、集合はなかった。なぜならば、それは未来にあるのだから」というのがプレ・ミレである。
しかし、イエスははっきりと「この時代が過ぎる前に起こる」と言われた。
紀元1世紀に「選びの民を集め」るという御言葉は成就し、イエスを王とするイスラエルが再興され、南北統一イスラエル王朝が復活していなければならない。
おそらく、初代教会のクリスチャンたちは、日本に来たのだろう。
彼らの大多数は南朝ユダの人々であろう。
北朝の人々は、アッシリア捕囚から解放され、紀元前にすでに日本に入っていた。*
イスラエルの十部族探索のための公的機関アミシャブが述べたように、捕囚から解放された民の本隊は、日本に入った。
そこにエルサレム教団の人々が入り、正式に南北朝統一イスラエルが誕生したのではないだろうか。
天皇家の紋である菊と桐は、それぞれ獅子と一角獣と対応し、同じ紋を持つイスラエル南北朝を象徴する。
聖書によれば、統一王朝はイエス・キリストによってのみ成立するので、日本はイエスの国である。
紀元1世紀に、日本においてイスラエルは復興していた。
タルムードユダヤ人が計画するパレスチナにおけるイスラエル復興と、世界支配は、聖書に基づかない悪魔的なものである。
タルムードユダヤ人が作ったイエズス会が広めているディスペンセーショナリズムは、この悪魔の再興イスラエルを唱えるものであり、真の再興イスラエルである日本にはなじまない。
日本は、宣教師の墓場、伝道者にとって不毛の地ではない。
日本人は、ただしく理解されたキリスト教しか受け入れることができないのである。
*
バビロン捕囚から解放された南朝の人々も紀元前に入っていたかもしれない。
2015年7月10日
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