悪魔に願い事をするために儀式殺人が起きているのかもしれない
http://linkis.com/rapt.sub.jp/OTe64 の著者によると、佐世保事件とライブドアの野口氏の殺害方法は一致していて、フリーメイソンの儀式殺人の形式、すなわち、頭部と腹、手首を切って内臓を取り出す形であったという。
フリーメイソンでは、「秘密を口外した人は喉を切られ、腹を割かれる」ということを示すジェスチャーがあり、ピーター・F・ドラッカーもそのサインをしている。
http://www.millnm.net/qanda4/uptotheirnecksinmischief.htm
先日報道された英国女王とローマ法王による児童殺害事件、そして、ロンドン五輪で儀式に合わせて失踪し殺害された女性の事件、アメリカで年間80万人の児童誘拐(このサイトの著者の情報による)を考えると、どうやら、今でも、悪魔崇拝者は、自らの計画を実現させるために、悪魔に願い事をし、その代償として人身御供を行っているのではないかと思えてきた。
われわれクリスチャンが願い事をする場合には、イエスという身代わりの犠牲がある。
われわれの願いだけでは、汚れていて聞かれないが、イエスの十字架による神の義の満足という条件のもとで清められ、聞かれる状況となる。
聖書の主張では、人間にとって「人身御供は必要」なのである。
神礼拝と悪魔礼拝の違いは、その人身御供がイエス・キリストであるか、それとも、他の人間か、という違いである。
神はイエス・キリスト以外の人身御供を受け入れられない。
悪魔崇拝の場合、幼児などがささげられる。
栃木の幼女誘拐殺人でも、死体に血が残されておらず、傷が規則的につけられていたという。
世に、単なる快楽殺人、怨恨殺人として処理されているものの中に、儀式殺人がかなりあるのかもしれない。
2014年8月8日
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