神の国とその義を第一に求めることをやめた瞬間に・・・



すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3・12)

聖書のとおりに自分を認識し、神の国を広げる活動に集中すれば、自分へのこだわりは消えます。

たまたま先ほどユーチューブで「マイナス思考芸人」というアメトーークの回を見ていました。

ある芸人が「自分がロイヤルミルクティーを飲んでいるのを誰かにツイートされ『芸人のくせにロイヤルなんて』と批判され、怖くなった。」と。

こういう自意識過剰は、私も相当悩まされましたが、本当に「無駄そのもの」です。

人生の多くの時間をこういう無駄な関心に費やすようになっていることこそが、呪いです。

20年前、スーパー銭湯でよく神学書を読んでいました。

ときどき他の客から話しかけられることがあり、ある日、ギャンブル狂いのおじいさんが近づいてきました。

自分の過去の自慢話を延々とします。今の生活はボロボロなのに、昔のまったくどうでもいい栄光にこだわっている姿に哀れさを感じました。

ノンクリスチャンは、自意識と虚栄心の奴隷です。

自分の栄光を表すことをひたすらに求めます。

それは普通の人々だけではなく政治家などの社会の指導者も同じです。

政治家になったら大臣になりたい、大臣になったら首相になりたい、首相になったら歴史に名を残す業績を上げたい、・・・。

これが肉の姿です。

しかし、そのような欲望は自分にとって意味のあることかもしれませんが、他人から見たらどうでもいいことです。

たとえ安倍さんが歴史に名を残すような名宰相と呼ばれても、ほとんどの人にとってそんなことはどうでもいい。

親戚の誰かが有名な歴史上の人物であっても、他人にとってほとんどどうでもいいこと。

ノンクリスチャンは、そのどうでもいいことのために、人生のほとんどのエネルギーを使って死んでいく。

むなしいことです。

クリスチャンは、聖霊に満たされれば満たされるほど、神の栄光だけを求め、自分のそれを忘れます。

クリスチャンのナルシストというのは、本当はありえません。

しかし、それが現実に存在するのはなぜか。

肉が支配しているから。

クリスチャンは、聖霊が与えられているので、神的な思考ができます。

しかし、同時にアダムから引き継いでいる堕落した肉体と心があります。

聖書では「御霊によって肉の欲を殺せ」とありますが、くだらない名誉欲や金銭欲、性欲、劣等感、優越感、その他をどうやって抑えるかというと、もっぱら御霊に支配されることしかない。

御霊に支配されるには、絶えず祈って、神との交流のパイプを確立する。

ですから、クリスチャンであっても、祈りと聖書の学び、礼拝、礼典、その他を行って神とのパイプが太くないと、容易に世俗の無益な心配事に落ち込み、劣等感や優越感、虚栄心の奴隷になる。

神の国建設という本来の目的にしたがって生活している人は、世界で、ほぼゼロパーセント。

キリスト教も金儲けと、自分の栄光を求めるくだらない余興のようなものに堕している。

その活動は、ほとんどが無駄です。

永遠の世界において何も残っていない。

サタンの誘惑がどれくらい強いのか。

サタンは私たちを神の道から引き離して、無益な享楽へと引き込む。

そして、人生を破壊する。

恐ろしいことだと思います。

神の国とその義を第一に求めることをやめた瞬間に、クリスチャンは、無益な欲望の奴隷になり、貴重な人生を無駄に使うことになります。

 

 

2017年1月15日



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