善の勢力が世界を取り戻すには運動を基礎づける正しい理論が必要である
1.
本体論的三位一体(Ontological Trinity)とは「神の内部の三位全員が、性質、本質、属性において平等であるという教えである」。
三位一体の各構成員は、全知、遍在、全能、聖さなどにおいて差異がない。
https://carm.org/dictionary-ontological-trinity
これ対して、経綸的三位一体(Economic Trinity)は、父と子と聖霊が互いと世界とどのように関連しているかに関する教えである。
経綸(economic)という言葉は、ギリシャ語のoikonomikosに由来し、それは活動の調整(arrangement)と関連する。
各位は、神の中において役割が異なり、それぞれが世界と異なる関係を有する(役割の一部はオーバーラップしている)。
父は、子(ヨハネ6・44、8・18)を遣わす。子は自らの意志ではなく、父の意志を行うために天から降りてこられた(ヨハネ6・38)。
父は、贖いの御業を行わせるためにひとり子(ヨハネ3・16)をお与えになった(2コリント5・21、1、ペテロ2・24)。
父と子は、聖霊を遣わされた。
世界の基が置かれる前にわれわれを選ばれた父(エペソ1・4)は、われわれを予定し(エペソ1・5、ローマ8・29)、選びの民を子に与え給う(ヨハネ6・39)。
子が父を遣わされたのではない。
父が子の意志を行うために派遣されたのではない。
子が父を与えたのではなく、父がひとり子を召された。
贖いの御業を行ったのは父ではない。
聖霊が、父と子を派遣したのではない。
子または聖霊がわれわれを選び、予定し、われわれを父に与えたのではない。
役割の違いを示す1つの聖句として、1ペテロ1・2(「父なる神があらかじめ知っておられたことにより、聖霊の聖めの御業によって、あなたがたがイエス・キリストに服従し、その御血を振りかけられるためである」)を挙げることができる。
父はあらかじめ知っておられた。
子は人となり、ご自身を犠牲にされた。
聖霊は教会を神聖化する。
端的に言えば、われわれは、本体論的三位一体は、神とはどのようなお方であるかを扱い、経綸的三位一体は、神は何をなさるのかを扱うと言える。
https://carm.org/dictionary-economic-trinity
https://carm.org/ontological-and-economic-trinity
2015年11月5日
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