日本人がこの事実を受け入れるべきときが来た2
1.
中国で景教がさかんだったころ、ちょうど遣唐使が派遣されていた。
ということは、当然その影響が日本に及んだと考えられる。
空海は景教の教会で洗礼を受け、その教えを日本に持ち込んだ。
2.
秦氏が景教徒であったならば、クリスチャンは偶像礼拝を非常に嫌うので、当然、もし天照大神が単なる太陽神でしかなければ、それを神道の教えの中から排除するはずである。
天照大神の教えが残っている以上、それがイエス・キリストを示していたと考える以外にはない。
古事記や日本書紀がキリスト教の教義と似ているのは、古代日本の宗教界を支配していたのが、秦氏と物部氏だったからである。
どちらもキリスト教徒。
だから、天照大神の岩戸伝説は、贖罪のために死んで3日目によみがえったキリストの物語がもとにある。
秦氏の神社の赤い鳥居は、それゆえ、イエス・キリストによる贖罪を象徴している。
鳥居に榊が結び付けられるのは、榊は逆木=いのちの木=十字架だから。
2016年10月11日
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