1.
内宮の心御柱は、中心から西北東南方向にずれている(正中外し)。
なぜずれているのか。
伊雑宮を指すためである。
内宮は、終着点ではない。
伊勢神宮は、内宮と外宮だけではない。
実は、物部氏の伊雑宮がもう一つの伊勢神宮であり、終着点である。
内宮参道の石灯籠も、伊雑宮を示している。
建てた当事者によれば、石灯籠に六芒星が刻まれているのは、伊雑宮を示すためである。
2.
私は藤原氏を敵とみるべきではないと思う。
今の体制は、藤原氏と物部氏の合議に基づくのだと思う。
中国の記録によると、徐福の子孫は日本において秦氏を名乗っているとある。
八咫烏によると、物部氏の先祖は徐福である。
つまり、物部氏=秦氏。
しかし、これは、新約時代に新羅からやってきた弓月君(ユンズノキミ)に率いられたあの秦氏ではない。
次のビデオにおいて藤井厳喜氏が引用された吉薗周蔵氏の手記は、渡辺(または渡部)という人とのインタビューに基づいている。
https://www.youtube.com/watch?v=oeNofxXPqXg
この渡辺という人は、自らのことを「アヤタチ(怪立)」と言った。
アヤタチとは「怪立」と書き、上田伝承(吉薗周蔵手記)では、海岸沿いに住んだ海人族が天孫族との戦いから海沿いの僻地へと逃れた際、選ばれし者が僻地には行かずに山岳部に入った集団だとのこと。
https://twitter.com/virusyana/status/447363504903696384
後に来た秦氏(新約の秦氏)は、先にいた秦氏(旧約の秦氏)を打ち負かした。
しかし、後に、両者は同じ璽を持つことから同族と判明し、共存した。
日本神話では、旧約の秦氏は、新約の秦氏をサポートする者として描かれている。
実際、現在でも、それは八咫烏と天皇という関係において継続されている。
八咫烏のトップ大烏の3人は「三羽烏」として「裏天皇」を構成し、表の天皇ができない場合に儀式を行っているという。
3.
すでに示したように、カゴメ歌が解けた。
「籠の中の鳥」とは「六芒星の中の鶴」=「鶴亀」=「物部氏」=「秦氏」である。
1300年藤原氏が表にいる時代が続いたが、近衛文麿で終わった。
戦後は、イルミナティ・アメリカの奴隷の時代。
昔イスラエルは、奴隷であったが、宰相ヨセフのおかげでゴシェンというもっとも肥沃な土地に住んでいた。
同じように日本も繁栄した。
しかし、これが普通の状態ではけっしてない。
日本は独立すべきだ。
私は、1988年、真名井神社で六芒星を発見したK氏をもって、物部氏の復活の嚆矢とすべきであると考える。
籠の中の鳥が出てくるのは、「夜明けの晩」である。
つまり、明るい未来の前の暗闇の時代である。
イスラエルが独立する頃、つまり、モーセが現れた頃、ちょうどヨセフを知らないパロ(ファラオ)が現れて、イスラエルを迫害した。
同じように、80年代半ばになって、プラザ合意から円高になり、アメリカによる日本潰しが始まった。
アメリカを抜く勢いであった日本をバブル経済の創造とその破壊で潰しにかかった。
1995年に阪神大震災、地下鉄サリン事件、2011年に東日本大震災とイルミナティの攻撃は続いた。
今は、夜が明ける前の暗闇の時期。
出エジプトが起きる。
「籠の中の鳥」は外に出てくる。
1300年の縛りが解ける。
日本人は、蘇民将来である。
民は将来蘇る。
4.
K氏と私は奇妙なつながりがある。
回心したのも同じ時期である。
1976年3月受験のために上京し、新座市の親戚の家に泊まっていたときであった。
ちょうど同じ1976年3月に、K氏も新座市の教会で回心した。
互いに知らなかったが、目と鼻の先でそれぞれほぼ同時期にイエスと出会った。
真名井神社の出来事があった1988年に、私は考え方を完全に再建主義に変えた。
K氏の事務所にはじめて行ったのは、1990年、知り合いのユダヤ系ロシア人に車を借りてあげるためであった。
K氏は、籠神社・真名井神社と、私は、伊雑宮(祭神が伊射波登美命。登美(富)氏は出雲神族)と関係がある。
http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/32845961.html
5.
三神氏によると、秦氏のいるところ、蕎麦があるという。
出雲大社に行ったときに、門前町に「出雲そば」があったのを思い出す。
おそらく、蕎麦は「鶴と亀」だからだろう。
「ツルっとすすって噛め」。
冗談のように思えるかもしれないが、おそらくこういう隠れた意味があると思う。