日本人が一発屋を目指すプレ・ミレに惹かれることはない


1.

大阪で、学校で英語をさぼった大人に教えたことがある。

中学英語から始め、文法を教えた。

しかし生徒は「すぐに話せるようになりたい」と言った。

会話できるようになるには、文法と語彙において一定のレベルに達する必要がある。

語学をマスターするには時間がかかる。

『〇〇語4週間』のような本があるが、むりだ。

4週間でマスターできる言語などない。

私は、幼稚園の付属音楽教室でオルガンを習った。

引っ越して中止したので、今でも鍵盤楽器が弾けない。

ピアノが弾ける人がうらやましい。

ピアノが弾けるようになるには、一定時間訓練が必要。

なんでもそうだが、「〇〇ができたらなあ」という願望をかなえるには、訓練と忍耐が欠かせない。

プロになれるかどうかは才能にかかっているが、努力すれば、ある程度英語も話せるようになるし、ピアノも弾けるようになる。

日本人は、目標を達成するために努力を惜しまない民族である。

こつこつやるから、最終的に世界で日本製品が独り勝ちしてきた。

私が中国や韓国の人々を信じられないのは、こういう地道な努力を厭うところがあるからだ。

賄賂とコネが通用するような社会で、地道な努力は報われない。

ノーベル賞を取るには、賄賂は通用しない。

もし通用するとわかれば、権威は地に落ちる。

だから、中国や韓国の人々はノーベル賞を取れない。

何か価値のあるものを作り出すには、社会において「公平さ」を尊ぶ風潮がなければならない。

努力した人が報われる社会であれば、努力をする人々が現れる。

努力する人が増えると、文化の総体的な価値もアップし、国力も増す。

公平性を重視し、賄賂やコネクションを嫌う文化がない国では、人々は努力を嫌い、「なんとかうまい汁を吸えれば」と短絡的な方法を探すようになる。

日本では、総合格闘技で体に油を塗った選手は今でも軽蔑されている。

しかし、韓国では尊敬されている。

勝利するためなら手段を選ばない文化は、堕落している。

地道な努力を惜しみ、賄賂とコネが幅を利かせ、面子だけは一丁前にこだわる民族に未来があるはずがない。

2.

「努力よりも賄賂」をモットーとする人々は、一からこつこつと積み上げた仕事を横取りしようとする。

彼らは、出来上がったものを手っ取り早く手に入れることのためには努力を惜しまない。

自分の店のサービスや製品の質を高めるよりも、よその店の客を奪うことに精を出す。

客を奪っても自分に実力がなければ、継続する力がないから、すぐにダメになる。

それくらいちょっと考えればわかるだろう、と思うのだが、そういう人々は、欲に目がくらんでいるので見えない。

結局、こつこつ努力して力をつけた人が勝つのだ。

他人の収穫を当てにするような人は、最終的に負ける。

品性が卑しくなるので、まともな人が寄ってこない。

こういう人は、人生の敗北者である。

こういう人の集まる国や文化は、いつまでも第三世界から脱出できない。

3.

ポスト・ミレは「努力による文化建設」を目指すが、プレ・ミレは、「他人の果実を得ることによる文化建設」を目指す。

ポスト・ミレは、「紀元70年に、世界はイエス・キリストの御国になった。だから、クリスチャンが努力すれば、必ず世界は徐々にクリスチャンのものになる」と信じる。

プレ・ミレは、「世界は悪魔のものだ。だから、イエス・キリストの再臨に頼るしかない。今の世界で努力しても無駄だ」と信じる。

どちらの思想で子供を教育したいと思うだろうか。

どのまともな親が、自分の子供に「地道な努力を嫌い、他人の恩恵にすがる」人間になってほしいと思うだろうか?

ポスト・ミレは、こつこつ努力する日本人に合っている。

日本人が、一発屋を目指すプレ・ミレに惹かれることはない。

 

 

2016年6月6日



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