疑わない人だけが祝福される


今、うつ病に関する本を訳しているが、それによると、うつ病にかかりやすい人の特徴は、次のとおりである。

自らを衰弱させる考えと格闘し、ヒステリックに興奮し、それを抑圧し、仕事に打ちこもうとする。

しかし、すべてのこのような試みは、無駄に終わる。

自分が直接かかわりのある特定の企業の成功だけではなく、正義の理想を実行する全般的な可能性すらも信じる力がない。

つまり、「的外れ」なのである。

格闘する対象を間違っている。

格闘すべきなのは、「自らの不信仰」である。

「信仰する」という行為は、自然にわき上がるものではない。

意識的なものである。

「無理やりでも」信じるのである。

気分が乗らないときでも、信じる。

失敗が連続しても、信じる。

こういう姿を見て、神は、ようやくその人に祝福を与えられる。

試練が、「忠実になろう」と決意した直後に来るのは、「試すため」である。

どんなに逆のことが起きても、本当に信仰を貫くかどうかを見られている。

一二度で諦めるような人は、何もいただけない。


ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。(ヤコブ1・6-7)

信仰に穴が開いていると、変な霊が入ってきて占領されてしまう。

そうなると精神的な病と今日呼ばれているような状況になる。

問題は、信仰を貫く「意思」である。

自信を失いかねないことが起きても「やっぱりだめか」と思わずに「いや、それでも信じる!」と思えるかどうか。

そこが精神的に健全になれるかどうかの分かれ目である。

 

 

2014年8月15日



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