N様、ご指示どおりフォローしたのですが、返事がないのでここにおいて回答いたします。
それとヘイトスピーチの件ですが、私は、在日韓国朝鮮人をあのような形で中傷することは反対です。
ヘイト・スピーチについては、在日の人々を「殺せ」だの「叩き潰せ」だの言うのは、間違っています。
ただ、日本人がこのようになったのも、韓国人のあまりのヘイト・スピーチが多く、しかも、単なるヘイト・スピーチにとどまらず、社会の様々な分野に乗り込んで、日本人たたきをやったり、韓流を押し付けたりと、傍若無人の行動が多かったからです。
私は、韓国及び中国に日本へのステルス攻撃が行われていると考えており、その最終目的は、乗っ取りにあると思っています。
神学的なことのほうに興味があります。
”神は憐れみたいと思う者を憐れみかたくなにしようとするものをかたくなにする”(ローマ9:18)ですが、これにはどうしても納得がいきません。
納得がいかないというのは、考えられないんです。
神の言葉ですから。
神の言葉である以上、「わかりました」というしかない。
それとも、私たちは神を超えているのでしょうか。
神の意見を低く見ていいのでしょうか。
神に意見する立場に立つことを究極の傲慢と言います。
神は創造者であり、主権者なので、救われる者と滅びる者をあらかじめ定める権利があります。
人が頑固になって悔い改めず、神の前にへりくだろうとしないのは、神が「その罪人の心を放置した」からです。
罪人であるわれわれ人間は、もし神のあわれみがなければ、悔い改めることができません。
悔い改めることができないのであれば、滅びるしかありません。
ですから、救いと滅びは神の一方的な恵みであって、人間の側の問題ではない。
人間は、黙っていれば、堕落します。
罪人として生まれてきたので、堕落します。
それは、あたかもピンボールの台の上をボールが転がり落ちるようなものです。
放置すれば、滅びる。
神は、特別に予定し、愛する者だけに、支えを与えられる。
ピンボールで言えば、落ちないように、左右のバーを上下に動かして弾き返します。
そのため、選ばれている者は、いくら堕落しても、もう一度戻ってきます。
神と和解しようとし、契約の中にとどまろうとする。
しかし、予定されていない人々は、神と和解することとか、契約の中にとどまることそのものをバカにします。
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かである(1コリント1・18)