赤ん坊の時に亡くなった子供だけが天国へ行くのか?


「赤ん坊の時に亡くなった子供だけが天国へ行くのでしょうか。」

いいえ。聖書では、人間は「生まれながらに御怒りを受けるべき子」と呼んでいます。人類はアダムにあって神と契約を結び、アダムは堕落したので、アダムから生まれる者はすべて契約違反者として生まれてきます。そのため、選民として生まれたユダヤ人であっても、生後8日目に割礼を受けなければなりませんでした。つまり、生まれながらに救われる人は一人もいないということです。

私は性善説を信じていますから、自分が犯した罪については本人が良くわかっている。そして、反省をし、日々悔い改めて生きていくものと思っています。

それは、クリスチャンとても同じです。私も、毎日、正しく生きようと努力しています。罪を犯せば反省します。

ということで、わたしからするとキリスト教信者はそれが出来ない愚かな人々の集まりなのかと極端な気持ちさえ考えてしまうのですよね。

逆です。イエスは、天に向かって「私はこれこれこのように善行を行いました。感謝します」と言ったパリサイ人と、目を天に向けようともせずに「私の罪をお赦しください。」と祈った取税人とを比較して、取税人のほうが神に受け入れられると言われました。

人を救世するための宗教だとは思うのですが、どうも宗教というと、重すぎますね。

葬儀に参列するとよく感じるのですが、人生は貴重で、厳粛です。時は2度と戻ってきません。人生において行ったこと、語った言葉は、取り消すことはできません。ですから、一度限りの生を正しく生きようと思って今まで生きてきました。自分をだましてまで生きるつもりはありません。ですから、真理とは何かを妥協せずに追究していこうと思っています。すると、どうしても宗教に行きつくしかありません。そして、人の良心を利用するような宗教に騙されたくはありません。重たいと言われればそうかもしれませんが、私は、偽りを信じて自分をごまかしてまで生きるに値するのか、この世界は、と思います。

 

 

2016年12月9日



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