日本人クリスチャンは二重の意味において自信を持つべきである


1.

知人がフェイスブックを通じて旧満州の朝鮮自治区のクリスチャンと知り合いになった。

彼は「キリストによる世界政府」を目指しているという。

まだ20代前半である。

昨年渋谷で会ったクリスチャンの若者も同じような考えを持っていた。

HPを見て連絡してこられた。

どうやら、神は世界にこのような意思を持つ若者を起こしておられるように感じる。

昨日は、私の日猶同祖論に関するページを見てK氏に連絡してこられた男性と電話で話した。

私とほぼ同じ考えを持っておられた。

日本の基礎にキリスト教があると信じている。

昨年、連絡を取られた牧師先生によると、ミレニアムの考え方に賛同している若い牧師が増えているとのこと。

ミレニアムのミニストリが着々と影響を与えていると感じている。

このような人々が増えていることは、世界の改善というより、正常化である。

本来のあるべき姿に戻りつつあるということである。

ミレニアムのページで伝えていることは、至極まっとうなことであって、何もおかしなところがないはずだ。

聖書から考えれば当然導きだされる結論である。

満州の男性は、まだポスト・ミレを知らないらしい。

だから「私は自信がない」という。

なぜクリスチャンが自信を持てないのか。

世界の支配者であると教えられていないのである。

教会がディスペンセーショナリズムに汚染されており、「再臨が起きるまでクリスチャンは弱い」と信じ込まされている。

紀元70年にわれわれはキリストともに王になったのだ。

どんな難問があっても乗り越えられる。どんな敵でも勝てる。

世俗の人々でも「根拠のない自信によって」生きている。

しかし、われわれには根拠がある。

なぜ自信を持てないのか。

心の中に一点でも疑いがあれば、弱い。

完全に信じられるかどうかが鍵だ。

2.

繰り返しになるが、天地創造は、分離を通じて実現した。

天と地を分け、海と陸を分け、陸とエデンを分け、エデンと園を分けられた。

これは、聖別である。

聖別を繰り返して作られた地が、エデンの園である。

クリスチャンは、イエス・キリストにあって、そのエデンの園に入る権利を与えられた。

もはやケルビムも回る炎の剣も邪魔をしない。

われわれは、イエス・キリストにあって、エデンの園に入り、生命の樹から自由に取って食べ、永遠の命を得る権利を与えられている。

エデンの園は、エデン山の中腹にあり、平野を見渡す場所にあった。

エデンの園に住むアダムに神は「地を従えよ」と命令された。

アダムは失敗したので、イエス・キリストが代わりに「地を従えよ」と命令され、そして、それを法的に成就された。

イエス・キリストは、法的に世界を征服された。


わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16・33)

ここで「世に勝った」と記されている言葉は原語では、「世を征服した」という意味である。

ニカオー(征服する)という動詞の完了形(ネニケーカ)が使われている。

ギリシャ語の完了形は「過去に実行され、その効果が今も続いていること」を強調する。つまり、イエスの世界征服は今も継続中である。

したがって、イエスの御体である教会の一員であるわれわれも、世界の支配者である。

われわれは、天のエデンの園に今住んでいる。

キリストとともに、世界を動かす権威を持っている。

なぜ自信を持てないのか。

3.

聖別を重ねて作られたエデンの園は東にあった。

それゆえ、東は聖別された土地であり、支配者の土地である。

神は、日本列島を聖別された支配者の土地として作られたのであろう。

世界地図を90度左に回転すると、日本列島は、最上部、すなわち、天国に位置する。

実際、イギリスの古地図には日本の場所にHEAVENと書かれてある。

聖書の世界観を熟知していたユダヤ人は、捕囚という刑罰を逃れた後に「救われた者の地」が東にあると信じて日本列島にわたったのであろう。

日本人のクリスチャンは、

1.イエスにあって支配者である。

2.世界を支配する者にふさわしい東の国に住んでいる。

という二重の意味において自信を持つべきである。

 

 

2017年5月1日



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