無律法の人々は、利益を求め、その利益によって自滅する


かつて猪瀬氏のツイッターのフォローをしていたが、著書の宣伝ばかりですぐにやめた。

ツイッターで社会問題に対する何らかの考えを聞きたかったのだがまったくそのような書き込みはなかった。

あの売り込み方は狂気すら感じた。

これは印象にすぎないが、猪瀬氏の今回の問題は、戦後、とくにバブル以降の日本人の「利益にのみ走る」姿を象徴している。

5000万円のお金が何に必要だったのか。

あるメディアは、「素人が政治家のまねをして利権に走った」と断じた。

団塊の人々が若者だったころ、商業ベースの音楽は軽蔑された。

TVに出ることを拒否した吉田拓郎が英雄視された。

今、この世代の人々が一番利益に走り、次世代の日本人に対する責任を無視しているように感じられる。

むしろ、経団連会長など、前代未聞の売国を平気でやる。

こういった姿を見ると、次の聖句を思い出さざるを得ない。


幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。(箴言29・18)

神は幻のうちにご自身を啓示される。

神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ、ヤコブよ」と言って呼ばれた。彼は答えた。「はい。ここにいます。」 (創世記46・2)

仰せられた。「わたしのことばを聞け。もし、あなたがたのひとりが預言者であるなら、主であるわたしは、幻の中でその者にわたしを知らせ、夢の中でその者に語る。(民数記12・6)

幻、つまり、神の教えがなければ、民はほしいままに振る舞う。

戦後日本では、教育勅語が失われた。

マッカーサーが日本を無律法の国にした。

猪瀬氏や戦後世代の日本人は、マッカーサーの子である。

倫理基準を失ったため、上から下に至るまで利に走る。

律法が必要なのだ。

幻がない、つまり、律法がない民は幸せになるだろうか。

ノーだ。

「しかし律法を守る者は幸いである」

幸いは、律法を守ることによってもたらされるのであって、「ほしいままに振る舞う」ことによってもたらされるのではない。

無律法の人々は、利益を求め、その利益によって自滅する。

猪瀬氏の辞任は、この真理をわれわれに教えてくれる。

 

 

2013年12月21日



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