来たるべき世において成功者になる
会社で働いていたころ、同じ会社の別の課に若い頃の大川隆法氏がいた。
本名は中川と言った。
一度しか見かけたことがないが、外見が変わっていたので鮮明に覚えている。
1982年か83年のことだ。
彼は今や、大教団の教祖である。
私は、当時祈って導かれ、わけもわからないうちに海外に駐在させられ、最大の試練を味わっていた。
仕事の辛さとか、人間関係の難しさは、実は問題ではない。
仕事もやらせてもらえばすぐに覚えて、指導員にまでなった。
社内試験でも歴代一位の成績を収めた(出題者曰く)。
最低でも部長クラスまで行く道が用意されていた。
問題は、「自分が人生でやるべき仕事ではない」ということだ。
神学校に入って、もとのさやに納まってほっとした。
自分に合っている。
教理の勉強も、語学も。
それ以来、「自分の使命に関係ないもの」一切を排除することにした。
これは、強迫観念のようなレベルのものである。
二度と、あのような苦しみに遭いたくない。
今でも、神の国建設に関係ないもの、妨害するものをことごとく排除している。
単なるお茶のみ話の友人はいなくなった。
昔はレジャーでどこかにみんなで遊びに行くのも楽しかったが、今は、時間とお金がもったいない。
これも導きと思っている。
私にとってやりたいことは、もっぱら「この地上を聖書的に改革すること」である。
だから、自分の個人的な必要などは「生きていければいい」レベルである。
衣服などはドンキホーテでいい。靴下も100円ショップのものでいい。
住居は雨漏りのする古いアパート。
パソコンも普通のものを使用している。
大川隆法が、全国に支援者を多数かかえ、大教団を作っていてもどうでもいい。
地獄に行ったら意味ないから。
最高の人生とは、「神の意思とまったく一つになる」人生である。
異端の教え、異教の教えを伝えて終わる人生はかわいそうだ。
どれだけ厳しい刑罰を受けるか。
永遠の世界で。
私は、自分の能力が達することができる限り、聖書に示された神の御心を行いたい。
来たるべき世において、成功者になれれば、この地上で何者であってもいい。
2014年10月2日
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