聖書は無条件の救いを教えていない
ある奴隷救助船があるとする。
その船に乗れば奴隷状態から助かって、自由の国に行ける。
しかし、その船に乗るには、一つの条件がある。
それは、「その船の秩序を尊重する」という条件だ。
船に乗ったが、船長のいうことを聞かないならば、乗せてもらえない。途中で秩序を乱す者として下ろされてしまうかもしれない。
これと同じことで、聖書が述べる救いとは、「イエス・キリストを信じたら無条件に救われる」というようなものではない。
無条件の救いというのは、流行している誤謬であり、異端である。
イエス・キリストという船に乗った以上、その船の中の秩序を守らなければならない。
その秩序を破壊するような人は、途中で下ろされる。
私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。
それなのに、この世のことで争いが起こると、教会のうちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。
私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。
それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。
そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。
ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行なう、だまし取る、しかもそのようなことを兄弟に対してしているのです。
あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、
盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。(1コリント6:3-10)
アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。
わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」(創世記17・1-2)
2011年2月10日
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