先祖の影響はわれわれが考える以上に大きい


1.

ノアにはセム、ハム、ヤペテという3人の息子がいた。

セムからはユダヤ人やアラブ人、モンゴル人が出た。

ヤペテからは白人が、ハムからは黒人が出た。

ハムの長男クシュから、バベルの塔を建てたニムロデ王が出た。


ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。
クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。
クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。
彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。
彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。
その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、
およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。(創世記10・6-12)

バビロン文明の起源は、ハムである。

ハムの子ミツライムからエジプト人が出たので、エジプト文明の起源もハム。

ハムの子カナンからカナン人が出た。それゆえ、カナン人の宗教もバビロンと同じようにバアル礼拝とモロク礼拝があった。

カナンは長子シドン、ヘテ、
エブス人、エモリ人、ギルガシ人、
ヒビ人、アルキ人、シニ人、
アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。
それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。(創世記10・15-19)

イスラエル人が入る前に住んでいたカナン人の文明はハム文明であり、基本的に、バビロン文明とエジプト文明の兄弟。

アブラハムは、バビロンの異教文化を嫌って、ウルから出てパレスチナに向かった。

そして、カナンに入るときに、イスラエル人は、カナン人が信じていたバビロンの宗教を根絶するように命令された。

「イスラエル人に告げて彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地に入るときには、
その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をみな、こぼたなければならない。
あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住みなさい。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。
あなたがたは、氏族ごとに、くじを引いて、その地を相続地としなさい。大きい部族には、その相続地を多くし、小さい部族には、その相続地を少なくしなければならない。くじが当たったその場所が、その部族のものとなる。あなたがたは、自分の父祖の部族ごとに相続地を受けなければならない。
もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、わき腹のいばらとなり、彼らはあなたがたの住むその土地であなたがたを悩ますようになる。
そしてわたしは、彼らに対してしようと計ったとおりをあなたがたにしよう。」(民数記33・51-56)

バビロン文化の担い手であるカナン人を根絶しなければならない。

契約の共同体の中に、バビロンの文化の人々を加えてはならない。

もし加えるならば、彼らは「目のとげ」「わき腹のいばら」、つまり、悩みの種になる。

歴史的に、カナン人は、セムの子孫つまりイスラエル人をいじめ、虐待してきた。

それは今日に至るまで変わっていない。

セムの名前がなぜ組織的に中傷され、歴史の記録からすっかり消し去られているのかを理解するために、われわれは彼の徹底して堕落した邪悪な甥っ子カナンの記録を紐解かねばならない。

カナンは非常に邪悪であり、子どもたちに与えたその遺言と最後の言葉は、悪の箴言であった。すなわち、

「互いに愛し合いなさい(つまり、自分の種族だけを愛しなさい)。強盗を愛しなさい。わいせつを愛しなさい。あなたの主人を憎みなさい。真実を離してはならない。」

この驚くべき文書『カナンの遺言』は、世界にあまたある神学書の中でも一冊の書物―バビロニアン・タルムード―にしか存在しない。そこにはこのように書いてある。「カナンはその息子たちに5つの教訓を教えた。すなわち、互いに愛し合いなさい。強盗を愛しなさい。わいせつを愛しなさい。あなたの主人を憎みなさい。真実を話してはならない。」Pes. 113b.

カナンの遺言は、その後3000年の間に彼らが行ってきたすべての活動において、指針となってきた。他方、このような文章について全く知らないセムの人々は、虚しくもカナン人を「改心」させ、彼らが邪悪な道から立ち返るように促してきた。

もしセムの子孫たちがこの文書の教訓について警告されてきたならば、過去3000年の歴史は、大変違ったものになっていたことだろう。

(ユースタス・マリンズ『カナンの呪い』英語版p.18-19.)

現在のカナン人とは、ロスチャイルド・イルミナティである。

ロスチャイルドは、自らをカナン人、ニムロデの子孫と呼ぶ。

ロスチャイルドの会社には、ニムロデの名前が入っているものがある。たとえば、Rothschild Nemrod Diversified Holdings 、Rothschild Nemrod Leveraged Signature Fundなど。

それゆえ、ロスチャイルド・イルミナティとは、カナンの系列の結社であり、セム系ではない。

カナンは、ノアによって呪いを受けており、呪いの系列である。

そのため、ロスチャイルド・イルミナティは、セム系の人々にとって「目のとげ」「わき腹のいばら」である。

日本人は、昔にセムの子孫がやってきた。

聖徳太子の母親は、穴穂部間人姫皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)であり、ペルシャ人であった。

なぜならば「間人(はしひと)」は「波斯人(はしひと)」であり、波斯はペルシャのことだからである。

捕囚のユダヤ人はペルシャのクロス王によって解放された。

それゆえ、ペルシャにはユダヤ人が大量にいた。

その一群が日本にやってきた可能性は否定できない。

聖徳太子の生誕物語はイエス・キリストのそれにそっくりである。

側近は秦河勝であり、京都を作った人であるが、蚕ノ社の三柱鳥居のように、秦氏の遺物にはセム系であることを連想させるものが多い。

日本文化は、秦氏の文化が強く影響しており、それゆえ、セム系である。

配列変化の激しいミトコンドリア遺伝子による分岐時期の調査によっても、日本人はかなり古代に中東から人々が大量にやってきたことが明らかになっているという。




そのため、ロスチャイルド・イルミナティは、日本人の「目のとげ」「わき腹のいばら」なのである。

今日カナンの遺言は、現在「世界秩序」の支配者であるカナン人の子孫たちにとって、いまだに活動マニュアルとなっている。

同時に、カナン人たちによる強盗や奴隷や虐殺の犠牲者となり続けている人々にとって、その書物は依然として闇の中にある。

カナンの遺言書には、「カナン人たちよ、奴隷となれ」との「カナンの呪い」に逆らうのに必要な教えが含まれている。

「あなたの主人(すなわち、セムやヤペテおよび彼らの子孫たち)を憎みなさい」という教えは、セムを大虐殺せよとの教えである。そのため、その後のすべてのカナン人の儀式は、セムの人々に対する攻撃と暴力行為を奨励している。

それは、すべての革命と「解放運動」にとって基本となっただけではなく、大虐殺と人種戦争への主要な扇動でもあった。

・・・

聖書にはこれらの2つの勢力の間に常に繰り広げられている敵意の多くが記されている…。

原爆投下を指示したのは、ロスチャイルドの番頭バーナード・バルークである。

原爆の真の意味は、カナンによるセムの迫害である。

太平洋戦争、311、TPPの目的も同じである。

しかし、この目論見は失敗する。

なぜならば、ノアの呪いがかけられているからである。

ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。
神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」(創世記9・24-27)

2.

以前から、パリサイ人や律法学者たちが、イスラエルがカナン侵攻の際に、追い出さなかったカナン人の子孫ではないかと考えてきた。

バビロン捕囚の際に現地の宗教に影響されたイスラエル人の先祖が、バビロンの教えを持ち帰ってミシュナーを作り、パリサイ人たちはそれを信じていたわけだが、このパリサイ人たちは、そもそもイスラエルの中のカナン人の生き残りだったのではないか。

これは、聖書にはっきりとは啓示されていないので明言できない。

しかし、当時のまともなイスラエル人にとってパリサイ人は「目のとげ」「わき腹のいばら」になっていたのであるから可能性がないとは言えない。

先祖の影響というものは、われわれが考える以上に大きい。

 

 

2016年2月4日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net