欧米の科学者がなぜ無神論か?2



http://news.nationalgeographic.com/news/2006/08/060810-evolution.html
この表で見てもわかるようにイギリス、フランス、日本、ドイツ、デンマーク、ノルウェーなどで進化論を信じている人の割合は信じていない人より遥かに多い。進化論を証明する化石を数多く発見したのに聖書が唯一の証拠の想像論を未だに疑わない理由はなんだ?
それとキリスト教がないとなぜ科学が発展しないと思うのかもっと詳しくしてくれ

1.

化石は、何も証明していない。これは、当の進化論学者たちですらはっきり認めている。ハーバード大学の地質・生物・科学史教授で、現代の進化論科学界きっての反創造論の論客であるスティーヴン・J・グールド博士は、次のように述べてすっかり兜を脱いでいる。
「新しい形態学的デザインの起源に関しては、化石の記録はまったく頭にくるほど情報を提供してくれない。通常、より高次の分類群が、明確な先行生物や発端段階もないまま、いきなり化石として出現するのだ」(『個体発生と系統発生』1977年)

2.

進化論は確率論的に完全に破たんしている。
形質の遺伝子の突然変異により形質が進化しても、中枢の遺伝子の突然変異が起こらないと、進化は成立しないからだ。
羽が生じても、それを動かす中枢が同時に成立しなければならない。
人間の遺伝子1個の平均塩基対数は7000だが、塩基の数は4種類あるので、偶然に中枢の遺伝子が新形質を動かせるように成立する確率は、4の7000乗分の1、つまり実質ゼロ。
アミノ酸100個からなる一個の最小たんぱく質でも偶然に成立するには、(アミノ酸の種類は20種なので)20の100乗分の1。
進化論を否定する科学者がたくさんいるのは当然である。
ペンシルベニア州立大学のフィリップ・スケル名誉教授(化学、米国科学アカデミー会員)、ノーベル賞に何度もノミネートされているヘンリー・シェーファー計算量子化学センター所長、ニューヨーク市立大学のスタンリー・ソウルス名誉教授(進化生物学)ら、514人の博士号を持つ科学者がダーウィン進化論に異議を唱え、「生命の複雑さがランダムな変異と自然選択で説明できるとする主張にわれわれは懐疑的だ。ダーウィン理論を支持する証拠についての注意深い研究が行われるべきだ」と述べた。
分野別では生物学154人、化学76人、物理学63人。
http://www.discovery.org/scripts/viewDB/filesDB-download.php?command=download&id=660

3.

キリスト教の世界観なしでは、科学は長期的発展を遂げることができないことは、東大名誉教授渡辺正雄氏が朝日新聞5月2日夕刊に「日本の科学受容に問題--総合的な観点に欠ける」という題で、こう述べた。

「科学とは、西洋の思想・文化、具体的にはキリスト教的世界観が生み出したものです.この世界を神の被造物と見て、自然を神のみわざを読み取ることができる「第二の聖書」と信じ、深求を積み重ねることで科学が誕生し、発展してきた。自然に没入し、自然と一つになろうとする日本の伝統からは、そもそも近代科学は生まれなかったのです」

「その日本は明治以降、西洋からの科学の導入にあたり、技術や実用面だけを重視し、科学が生んだ精神や文化への理解をなおざりにした。切り花的に輸入しただけで、科学と人間、伝統文化との関係に対する歴史的・総合的観点が欠けていた」

さらに、ガリレオ裁判に関する俗説を否定してこう述べた。

「ガリレイは、生涯誠実なキリスト教徒であり、カトリック教徒であった。・・・ガリレイは、この(コペルニクスの)地動説に賛成であり、1632年に『天文対話』を出版して地動説を弁護したことで、罪に問われた。しかしそのガリレイは、何も教会に反対したり、キリスト教に反対したりしようとはまったく考えていなかった。彼はむしろ、教会がいつまでも地動説に無理解のままでいたのでは、教会のためにも、また彼の母国イタリアのためにもよくないと思っていた。アルプスの向こう側、ドイツには、ケプラーという優れた天文学者がいて、素晴らしい成果をあげつつあった。ガリレイは、このケプラーと親しく手紙のやりとりをしていた。そのケプラーは、ガリレイの仲間の研究者であるとともに、いい意味の競争相手でもあった。カトリックのイタリアは、プロテスタントのドイツに負けてはならない。こういう気もちでガリレイは、法王やローマ教会の主だった人々に何とか新しい天文学を理解してもらおうと努力していた。」(『科学者とキリスト教』68ページ、講談社)

4.

アルフォンス・ドゥ・キャンドルは、『科学と科学者の歴史』(1885)の中で、ヨーロッパの過去二百年の科学者は圧倒的にプロテスタント信仰を背景にしていたと述べている。ブラッセル自由大学のジャン・ペルスネア教授は、16世紀の南部ネーデルランド(ベルギー)でも、当時の科学者の大部分が、十万ほどしかいなかったプロテスタントのなかから輩出したことを証明した。アメリカの社会学者ロバート・K・マートンは、1938年に、1663年にイギリス王立学会を創立した人々の65パーセントが人口のごく一部を占めるピューリタンの信仰に立つことの意味を解明した。S・M・メイソンは、これら研究をふまえ、『科学の歴史・上』で、「近世ヨーロッパの大科学者のなかで、プロテスタントがカトリックを凌駕していることには、三つの主なる原因があげられるであろう。第一は、初期プロテスタントの心性と科学的態度との類縁、第二に、宗教的目的達成のための科学の使用、第三に、プロテスタント神学の宇宙的価値と初期の近代科学のそれとの一致である」とした。

5.

哲学者下村寅太郎は、精密科学の理念の精神史を追い、その『近代の科学的心情とプロテスタンティズム』において次のように述べている。

「近代科学が特に西欧的所産である限りキリスト教との関連を無視することはできない。」また、「結果に於ては近代の科学も確に宗教から独立の他者であるが、歴史的には、特に精神史的には、本来的に対立的なものとしてではなく、寧ろ共同の精神の所産であり、共同の源泉からの分化である」「精密性の追究に於る真摯執拗な、殆ど厳粛ともいふべき態度、更に何よりも、かかる仕事をtrivialとせず、当然として、義務として厭はない心情は抑々何によるのであろうか。・・・『(科学的研究は)もし神の法則や属性の明証を与へるものでないならば内面的価値のないものである』と言ったのはニュートンである。・・・科学者のこれら性格的な心情の由来(は)、近代の、寧ろ近代的な、宗教意識−−プロテスタント的心情以外に認め難いやうに思はれる」と述べ、さらに、「我々の問題に対して直接手掛かりとなるプロテスタント的精神はルターのそれよりもカルヴィニズムのそれである」と言う。

近代科学の成立にいかにカルヴィニズムの精神が関与しているかについて、さらに次のように述べている。

「カルヴィニズムが直接に我々の問題と結びつくことは・・・カルヴィンの神学思想そのものの中に理由がある。・・・プロテスタントの神学思想の根本原理は、宗教生活と人間の魂の救いに関する一切のものに於ける人間の絶対的な神のみへの依存にある。しかし、特にカルヴィニズムの神学の特色となるものは、この神との結合を宇宙論的規模に於いて徹底せしめた所にある。ここにカルヴィニズムの自然に対する積極的関心の通路と動機とが認められる」。そして、具体的に、17世紀オランダの大学における科学研究に触れてから、「ライデンでもユトレヒトでも教授も学生もカルヴィニズムたることが要求された。即ち、・・・積極的な言い方をすれば、カルヴィニズムの立場から、或いはカルヴィニズムを通して、近代科学が営まれていたということである。近代科学は必ずしも宗教から独立し宗教に対立することに於いて成立したのではないということである」とする。

6.

何故キリスト教は、科学の発展を可能にしたかというと、主な理由は、直線的発展史観である。

キリスト教(とくにカルヴィニズム)は、神の国は歴史を通じて拡大するという直線史観を持っている。直線史観は、循環史観の宿命論を排除し、未来に向かって前進し、知識や労働の成果を蓄積することを薦める。

あの著名な科学史家スタンリー・ジャキは、中国、インド、ギリシャ、バビロニア、マヤ、アラブの循環的歴史観をキリスト教の直線的歴史観と比較し、なぜ、キリスト教西洋において科学が発展したかという疑問に自答して、次のように述べている。

「言うまでもなく、様々な古代文明においてなぜ科学が死滅してしまったのか、多くの(地理的・社会的・経済的・政治的)要因があるだろう。しかし、これらのすべてに共通しているのは、循環的世界観に対するこだわりである。」(Stanley Jaki, The History of Science and the Idea of an Oscillating Universe, in Wolfgang Yourgrau and Allen D. Breck (eds.), Cosmology, History, and Theology (NY: Plenum Press, 1977), p. 140n.)

 

 

2016年1月1日



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