聖霊を宿す人は「神が幸せになること」を第一に求める
聖霊が心に宿っている人と、そうではない人の違いは、「神中心」を楽しめるかどうかだ。
聖霊が宿っている人は、次のことを喜べる。
「神を第一とする」
「神の栄光がほめたたえられることを喜べる」
「地上が天と同じように神中心に回る」
「悪人が地上を支配できなくなる」
「邪悪な国家が滅亡する」
「世界がキリスト中心に回る」
逆にこれらのことが喜べない人は、聖霊が宿っていない。
だから、「キリスト教」という看板を出しているかどうかよりもこれらのことを喜べるかどうかのほうが見分ける基準になる。
どうして聖霊が宿ると人の願望はまったく変わるのか。
なぜならば、人の心を聖霊が導かれるからだ。
われわれの体の中に別の人格が宿っているから、われわれの肉の欲望とは違う欲望が存在する。
われわれの生まれながらの肉の欲望は、利己的である。
クリスチャンを真似てどんなに頑張っても、聖霊が宿っていない偽者は、心の奥底で「神の栄光なんてどうでもいい」と思っている。
だから、われわれのような神中心主義者が現れると、追い出したくなるのだ。
聖霊が心に宿っていないのに牧会している人。
単にキリスト教の真似事をしているに過ぎない。
だから、目標が、自分の栄光、利己的な欲望、金銭、名誉、有名になること、地上的勢力拡大に置かれる。
彼らにとって神の国などどうでもいいのである。
信徒を集めるためなら、嘘を教えてもいいと考えている。
「再臨が近い」「世の終わりが来る」と平気で語れる。
ハル・リンゼイやティム・ラヘイといった「再臨切迫を説く預言者」たちは、一方で統一教会と手を結んでいた。
同じくビリー・グラハムは、フリーメイソンとのつながりがある。
「キリストなしでも神の民になれる」と説く「世界統一宗教」の宣伝者になった。
こういった偽クリスチャンたちにとって、神の栄光、御言葉の絶対性などどうでもいいのである。
重要なのは、一人でも多くの人々に自分の著作を買わせること、一人でも多くの人々をフリーメイソンの世界統一政府に組み込むことなのだ。
もし心に聖霊が宿っていれば、このような恐ろしいことはできないはずである。
われわれは、聖霊を宿す者として、まったくこの世の人と異なる願望を持っていなければならない。
それは、努力によるというよりも、生まれ変わりにある。
聖霊によって生まれ変わった人ならば、必ず神中心主義者、神を愛する人に変えられる。
われわれが祈るときには、まず、主の祈りの3つから始めよう。
1.御名がほめたたえられるように。
2.御国が来るように。
3.御心が天で行われるように地上でも行われるように。
われわれの願いはまず「神が幸せになること」である。
「自分が幸せになること」を求めるのは、ご利益宗教であり、聖書的キリスト教ではない。
2014年5月7日
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