神以外にいかなるものも依存の対象にしてはならない


ストーカーには、悪霊が入っている。

それは「執着の霊」である。

執着の霊は、依存心に付け込んで入ってくる。

ある女性に対して執着心を持っているならば、その人はその女性に依存しているのである。

なぜ依存するかというと、神への依存がないからである。

偶像礼拝とは、神礼拝の欠如から生じる。つまり、神を拝んでいないと、悪魔はすぐにやってきて、自分を礼拝させようとする。

権力は真空を嫌うのである。

神を捨てた人の心は真空になっている。そこに悪魔がすぐにやってきて、巣を作る。

偶像礼拝とは、神以外のものに対する依存である。

神礼拝がきちんとできており、神との関係がしっかりしているならば、女性に対する執着心が起きることは絶対にない。

神がいなくなった心にできた真空を埋める悪霊は様々である。

ノンクリスチャンには、全員なんらかの悪霊が入っており、依存症になっている。

クリスチャンでも神礼拝がしっかりしていないならば、容易に悪霊に憑依され、何か別のものを崇拝し、追いかけ、執着するようになる。

霊の働きだから、それを止めることはできない。

神礼拝に戻る以外に依存症を断ち切ることは不可能である。

たとえば、ある人は子供の頃に両親の愛情を受けられなかった。

そのため、異性にそれを求めるようになった。

しかし、異性はそのような両親の愛情ほどの愛情を持てないので、度重なる要求に疲れ果てた。

ある人は学歴コンプレックスを持っており、それを解消するために、子供に期待をかけた。

子供の進学に多額のお金をかけた。子供は過剰な期待につぶされてしまった。

進学に失敗したときに「おまえ、しくじったね」との親の一言をきっかけに精神を病んでしまった。

全部、依存症である。

そして、依存症の原因は偶像礼拝である。

依存症にかかった人は正常な人間関係を作れない。周りの人間に不幸をばらまく一生を送る。常に、誰かアイドルを追い求める。

神以外にいかなるものも依存の対象にしてはならない。

 

 

2017年3月20日



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