天皇家の表紋と裏紋はどちらも古代イスラエルの紋章である
菊紋は、太陽を象徴している。
「日本人がなぜ菊を愛するかというと、天皇家のシンボルだからだ。そのため日本の国花も菊になった。ところが、前述したように「菊紋」のルーツをさかのぼると、徐々に「菊」ではなくなり「日輪」へと変わっていく。つまり、放射する「日輪紋」となるのだ。
我々日本人が、‘日輪‘を菊の花弁と似ている理由で、いつのころからか「菊紋」、あるいは「菊花紋」と呼んでいるにすぎないのではないか。
その最大の証拠が、君が代の象徴である「日章旗」だろう。
日の丸とは日輪、つまり太陽そのものではないか。このことから、「菊政=菊花紋=日輪紋=太陽」の構造が完全に見えてくる。」(『ユダヤから来た日本の妖怪たち』 飛鳥昭雄(工学社))
「菊の御紋にも十六弁と十二弁があり、東京の「明治神宮」では主に十二弁の菊花紋が使われている。正確に言えば、十六弁の菊花紋も明治神宮の鳥居などに使われているが、神宮の門にある透かし彫りの大菊花紋は十二弁である。また、社殿の奥にも十二弁の菊の紋章が釣られている。古代ヘブライでは十六弁の菊花紋は全世界向けの場合に用いられ、十二弁はイスラエル十二支族に限る場合のみに用いられたのだ。
となると、つまり、明治天皇はイスラエル十二支族の血統を継承する直系子孫ということになり、二百年も続いた鎖国を解き放った天皇(形式的とはいえ)が、イスラエル十二支族の直系ミ ・ガド(ガド出身の者)であることを内外に知らしめたことになるのである。これが飛躍のしすぎではないことは、もう少し後で証明する。」(同上)
「五七の桐紋とは、三枚の大きな桐の葉の上に三本の茎が立ち、中央が七枚葉、左右がそれぞれ五枚葉であることからそう呼ばれる。南北朝時代以降、朝廷に対して武勲があった武士に拝領の意味で着用が許された家紋とされているが、もともと、武士が台頭してくる平安時代末期までは、武家には旗指し物はあっても家紋は無かったのだ。
ルーツは学術的には不明であるが、菊花紋のルーツがユダヤであれば、当然、五七の桐紋もユダヤでなければならない。そこでさまざま手を尽くして調べた結果、とんでもない事実が判明した。
なんと五七の桐紋と酷似する紋章が、やはりユダヤに存在していたのだ。それもイスラエル十二支族と関わりがあった。それが何と、十二支族の一つの「ガド族の紋章」だったのである!
ガド族の紋章というのは、「宿営」の意味をもつ家屋として表現され、三本の木が家屋から上にそそり立つ構造をしている。もちろん、中央の木が最も高く立っている。
そのうち、真中の木には六枚の葉が生え、左右の木にはそれぞれ四枚の葉が生えている。となれば家屋から生えた三本の木は、桐の三本の茎と対応していることが分かる。
また、紋章をよく見れば、家屋の部分が三役構造で描かれており、三枚の桐の葉と対応していることが分かる。
さらにここからが重要なのだが、ガドの紋章の三本の木は、どれも葉よりも少し上に突起している。つまり、突起部分だけで見ると、真中の木が七枝、左右が五枝となり、五七の桐紋と完全に一致するのである。
さらに言うなら、中央の七枝はユダヤの神殿に祭られてい(メノラー)」とまったく同じ構造になっている!」(同上)
http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/24573792.html
2011年2月14日
ホーム ツイート