ポルノの解禁と人口増加は比例関係にはありません


>初めまして「石打刑を骨抜きにするようなキリスト教はキリスト教ではない」を見てメールいたしました。

>旧約聖書の神が言ったことは嘘であるとキリストは言ったのでしょうか。それでは神は全能の神ではないと言うことですね。

いいえ。キリストご自身が旧約聖書の神ですので否定するはずがありません。

>>もしあなたが、殺人犯(姦淫女)に対して石をぶつけて殺すことができなければ、あなたの宗教とはキリスト教ではない。<

>ではキリストは間違ったことをしたのですね、私もキリストは間違っていると思います。姦淫は死刑になるほど重い罪だと考えられていたと言うことは多数の殺人と同じなのです。それをキリストはかわいそうという私欲で姦淫女を助けたのです。今後この町では姦淫しても誰も石を投げることはできなくなりました。この町では浮気が大いに蔓延るでしょう。町の秩序はキリストのおかげでめちゃくちゃになるでしょう。キリストは何が正しい事か分からない愚か者です。

いいえ。キリストは、女を非難する人々が「自ら同じことをしている」という理由で「告発者としての要件を満たしていない」と言われたのです。「罪のない者から石を投げよ」と言われました。

>>「姦淫するな」というのは旧約聖書の律法である。しかし、イエス・キリストによれば、それは「情欲を持って女を見るものはすでに心の中において姦淫を犯した」という律法にバージョンアップしたのだ。<

>そんな綺麗ごとを言えば子供の数はどんどん減っていき町は衰退するでしょう。キリストは何が正しいのか知らないのです。つまり聖書は神が書いたのではなく正しいとは何かを知らない人間が書いたと言う証拠です。

いいえ。当時のパリサイ人が「行動に表れない限り無罪だ」ということを根拠に「心の中の罪を不問にし、自らを義人と考え、神からの救いを拒絶していた」ので、「心の中の罪も罪である」と述べたのです。

子供の数は「結婚関係によって増える」という正当な手段があるので、「情欲を持って女を見る」かどうかに依存しません。ポルノの解禁と人口増加は比例関係にはありません。

もちろん、人間は「誰でも」心の中で姦淫を犯しています。これは現実であり、それなるがゆえに人は神の赦しを必要とします。

>神が割礼しろ、豚は食べるな、お笑い種です。そんなものはその地方の習俗ではないですか。つまりそこの人間によって書かれたのがあなた達が信仰している聖書です。

「割礼しろ、豚は食べる」は、旧約時代にユダヤ人に対して与えられた戒めであって、現代において適用されません。

「もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、「すがるな。味わうな。さわるな」というような定めに縛られるのですか。そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。」

 

 

2018年12月14日



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