サタンの拘束という妨害を防ぐには熱心な祈りが欠かせない


1.

先日、主の恵みにより、埼玉県に居住及び東京西部で働く会員の方々が集まり、聖餐式を持った。

大変恵まれた時を持たせていただき主に感謝します。

しかし、残念なことに、一人の方が、後日、脱力を訴え、動けなくなられた。

私の経験では、脱力の原因として悪霊の憑依を挙げることができる。

脱力の霊というものがいて、それに憑依されると、本当に動けなくなり、何もできなくなる。

10年ほど前に、私の友人が電話で「脱力感があり動けない」と連絡してきたことがあった。

その後、私も動けなくなった。

友人のクリスチャンに祈ってほしいと連絡すると「そんな馬鹿な」と一笑された。

すると、そのクリスチャンが動けなくなった。

霊が移動したのだろう。

私は、元に戻った。

ある友人のクリスチャンの娘さんから彼に「動けないから来て」と連絡があった。

行ってみると、顔は土気色で、こたつの中に入ったきり出られなくなっていた。

話を聞くと、ある新興宗教の人から勧誘を受けたという。

その人が帰ってから、体が動かなくなった。

聖霊に満ちている人の顔は血色がいい。

土気色になった原因として、悪い霊に入られたと推測できる。

ある人と電話で会話していたときに、電話口の向こうからうなり声が聞こえた。

彼曰く「女房が何かうなっている」と。

後で聞いたところ、奥さんが昼寝していると、悪霊が開けた窓から入ってくるのがわかったという。

そこで彼に「窓を閉めて」と言おうとしたのだが、金縛りの状態で、声が出ないし、体も動かなかった。

嘘だと思うかもしれないが、脱力の霊・拘束の霊に取り憑かれたことがないとわからないかもしれない。

サタンの願いは、われわれクリスチャンが動けなくなることである。

われわれが神のために活動できなくなることが望みである。

2.

貧乏霊もわれわれを拘束するために活動する。

われわれから金銭を奪い、経済的に何もできなくするために働いている。

経済に関して私が学んだことは、強烈に祈り求めない限り、経済的には祝福されないということである。

祈りは、ポンプの水をくみ上げるのと似ている。

長い間使っていない井戸から水を汲もうとする場合、何度も何度もレバーを上下しなければならない。

一度出始めると、次からは容易に汲み出すことができるようになる。

経済的に祝福されることをたえず熱心に祈らないと、祝福の井戸から水は出てこない。

今、エデン山からエデンの園に注がれる雨水はチョロチョロである。

空には水をたたえる大量の雲があるのに。

なぜこうなったのか。

なぜ潤っているはずのクリスチャンの居住地であるエデンの園に水が入らないのか。

求めないからである。


求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ7・7)

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネ15・7)

「何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます」

求めないと与えられない。

サタンの拘束という妨害を防ぐには熱心な祈りが欠かせない。

 

 

2018年2月17日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net