称名による戦い


神の御名を唱えるべきである。

なぜならば、初代教会のクリスチャンは「御名を唱える者たち」と呼ばれていたからだ。

御名を唱えるべきだというと、ものすごい抵抗を受ける。

あたかも魔術であるかのように考える人々がいる。

しかし、聖書において御名を唱えることは礼拝の一部であった。

バアルの預言者たちは神々の名を呼んだが、エリヤは神の御名を呼んだ。


エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたがたで一頭の雄牛を選び、あなたがたのほうからまず始めよ。人数が多いのだから。あなたがたの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない。」
そこで、彼らは与えられた雄牛を取ってそれを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んで言った。「バアルよ。私たちに答えてください。」しかし、何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちの造った祭壇のあたりを、踊り回った。
真昼になると、エリヤは彼らをあざけって言った。「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう。」
彼らはますます大きな声で呼ばわり、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。…
ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主(ヤハウェ)よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行なったということが、きょう、明らかになりますように。
私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」
(1列王18章)

御名を呼ぶ行為は、神のご臨在を期待して行うものである。

エリヤの称名に対して、神は天から火を降らされた。

われわれが御名を呼ぶときに、神は働いてくださり、悪魔の勢力に対して勝利させてくださる。

そもそもディスペンセーショナリズムがはびこって以来、クリスチャンは、エリヤとバアルの預言者たちの対決のようなものすら回避してきた。

そのため、バアル神はやりたい放題をやってきた。

ちなみに、バアル神は、もともとニムロデというバビロンの王が神格化されたものである。

ニムロデはバベルの塔を築き、神に挑戦した人間である。
http://www.millnm.net/qanda3/nimrod.htm

ロスチャイルドの会社の中には、二ムロデという名前が入っている会社がある。

現代の戦いは、現代のニムロデであるロスチャイルドのイルミナティとわれわれ聖書信仰のクリスチャンとの戦いである。

われわれは神の御名を呼んで御臨在を仰がなければならない。

勝利は必ずわれわれに訪れるだろう。

 

 

2014年5月13日



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