われわれの価値観では神の御心を知ることはできない
よく「あの人はクリスチャンに向いているから伝道してください」とか言われるが、クリスチャンに向いている人などいない。
救われるか救われないかは、神の主権によって永遠の昔に決められている。
それは、人間の資質とは無関係である。
真面目だからクリスチャンになるとか、不真面目だからクリスチャンにならないとか、こういう判断は人間的である。
牧師は、人間的に見れば性格の悪い人が多いように見える。
信仰をわきにおいてみれば、付き合いたくない人が多い。
すぐに傲慢になり、人を利用し、人の嫌がることを避ける。
しかし、そういう人が大きく用いられている。
人間が見る見方と神の見る見方は全然違う。
神は人間の資質と無関係に人を選ばれる。
だから、われわれの側では誰がクリスチャンになるか、ならないかはわからない。
だから、広く網をかけるしかない。
いろんな魚がいる海で、サメもいれば、タコもいる。
見栄えがよい魚だけを好むのが人間である。
イエスの弟子たちは実に多様であった。
今で言えば、底辺の集まりである。
右翼、吝嗇家、そこつ者、売春婦、・・・
エリートなのは、パウロぐらいだ。
パウロも、もともとクリスチャンを迫害していた人間である。
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。(1コリント1・27)
2015年3月12日
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