ディスペンセーショナリズムはキリスト教を自殺に導く



アメリカの保守プロテスタンティズムは未来志向では無い。その意味で、プロテスタントの人々は下層階級である。この階級の人々やその運動は、歴史を作り出さない。彼らは、バスの後部座席に乗り、歴史を作り出す未来志向の人々やその運動から搾取されるだけの存在である。
(Gary North, Crossed Fingers-How the Liberals Captured the Presbyterian Church, ICE, xi)
http://www.garynorth.com/freebooks/docs/pdf/crossed_fingers.pdf

クリスチャンは、「地を従えよ」との命令を受けているので、歴史を作らねばならない。

歴史を作る人々は、未来志向である。

過去から学び、現在を的確に把握し、未来を作る。

しかし、保守プロテスタントにディスペンセーショナリズムという異端が侵入し、人々から未来志向を奪った。

ディスペンセーショナリズムは「地を従えよ」との命令を無視する。

「世は終わる」「今は終末の時代である」「地上のことは放置してもいい」と教える。

世界をどういう風に変えたいのか、まったくビジョンがない。

現在志向の考え方をする社会階層は、下層である。

上流及び中流の人々は未来志向であり、その若者は「将来のために若いうちに勉強をしておこう」と考えるが、下層の人々は現在志向であり、その若者は「遊べるのは若いうちだから、今を楽しもう」と考える傾向がある。

結局、大人になって、蓄積が違う。

記憶力が豊かな若いうちに技術や知識を蓄積した人と、遊んでいて、蓄積がない人が、大人になって実力に差が出るのは当然である。

その実力は所得や影響力の差になって表れる。

技術や学識の蓄積がないのに稼げる商売は、運頼みの危ないものか、いかがわしいものに限られる。

「まもなく終末だ」と教えられ、職業や学識において蓄積がないままに大人になったプレ・ミレのクリスチャンの子弟が、大人になって資産や影響力を持たないとしても不思議ではない。

結局、彼らは下層階級の人々と同じ運命をたどる。

教会がプレ・ミレを採用する限り、社会へのクリスチャンの影響力は制限されたままである。

いつまでも弱小の集団にとどめておくこと。これがサタンの狙いである。

ディスペンセーショナリズムは、キリスト教を自殺に導く思想である。

 

 

2016年7月12日



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