聖書的な教えを維持するためにはどうしても経費がかかる
東京スカイツリーの展望台から見れる範囲と、飛行機から見れる範囲は違う。
ミレニアムのホームページを読んだということは、飛行機からのビューを経験したということである。
全体が見えてしまった。
その全体像を見たうえで、個別の問題について考えることができるようになった。
一度そのようなものを味わった上で、低いビルから横丁の様子を眺めるのだけで満足することはできない。
飛行機から見るにはお金を払う必要がある。
なぜならば、飛行機を飛ばすにはお金がかかるから。
飛行機を開発し、それを実験し、会社を作り、インフラを整備し、運航業務を開始するまでどれだけの出費があっただろうか。
このHPで意見を発表するためには、神学的な知識、しかも、今日ではどの教会に通ってもまったく聞くことのできなくなった健全なオーソドックスのキリスト教神学の見解が不可欠。
それをマスターする努力、それを得るためには、語学の知識、すなわち、英語、ギリシャ語、ヘブル語、他の言語の知識、歴史、世界情勢、その他の知識が不可欠。
こういった無数の努力と出費がなければ、尊い知識は得られない。
医者が医療業務に携わるまでにどれだけの犠牲を払うだろうか。
医者から得られる知識は、簡単な言葉で説明されるので、安価だと思われるかもしれないが、その簡単な言葉の背後には無数の努力と出費があった。
だから、われわれは、医者に代価を払う。
それを払いたくないなら、病気にかかっても医者に行かなければいい。
同じことで、ミレニアムで知識を得た結果、世界観に有益な変化があったと自覚されているクリスチャンは、代価を払ってほしい。
ノンクリスチャンにはそれを求めない。
なぜならば、彼らは「働き人」ではないからだ。
クリスチャンは、同労者である。
同じカナンの地に入る運命にある人々である。
イスラエルの諸部族は、教えを維持するためにレビ族の生活を支えていた。
余裕があるからではなく、収入の十分の一で支えよと神から命令されていた。
それができないのなら、イスラエルの集団から排除された。
つまり、永遠の死である。
地獄に行きたくないなら、十分の一を払わねばならない。
キリスト教のほとんどがタルムードユダヤ教によって汚染され、無力化された今日、われわれしか残っていない。
聖書的な教えを維持するためにはどうしても経費がかかる。
2017年7月14日
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