許されるのは過失罪だけである2
誰でも、あるシステムの中に入って、そのシステムの歯車になろうとしなければ、そのシステムから出るべきである。
会社に入って、その会社の歯車になろうとしないのであれば、退職すればいい。
会社に入りながら、その会社の利益に反することをするのであれば、それは「裏切り者」であり「システム破壊者」である。
こういう人に対して会社は「追い出すこと以外してはならない」。
われわれは、すべて神の被造物として生まれてきた。
どんなに拒否したところで、われわれが「造られた者」以上のものにはなれない。
進化論を信じたいのは「造られた者であることを認めたくない」からにほかならない。
しかし、進化論は破綻した科学である。
われわれが、創造された者である以上、われわれは生まれたときに「神のシステムの中に入れられた」のである。
だから「システムの歯車になろうと努力しなければならない」。
神のシステムの中において、神の意志と無関係に生きたり、破壊しようとすれば、排除の対象になる。
会社が、不良社員を懲戒免職するのと同じように、神は不良被造物を排除し、地獄に投げ込まれる。
過失の罪は悔い改めることによって赦されるが、「俺は、神のシステムなど認めないね。やりたいようにやるよ。」という人が犯す罪は、絶対に赦されない。
彼はシステム破壊者であり、サタンと同類である。
サタンは、この被造世界の秩序を破壊するために活動している。
神とサタンがそうであるように、神とシステム破壊者である人間も、互いに不倶戴天の敵である。
永遠に二者が対立する、と考えるのは、善悪二元論のマニ教である。
キリスト教は、最終的に神が勝利し、サタンと不信者を底知れぬところに投げ込み、滅ぼすと教える。
神の法を無視しても永遠の命にあずかれるという教えは、異端である。
赦されて永遠の命が与えられる人とは「絶えず悔い改める人」である。
「神様のシステムから出たくはありません。どうかこのシステムの中で有用な者になりたいので、私の罪を赦し、受け入れてください」と祈る者である。
「あなたの法を守るつもりはありません。私はずっと永遠にやりたいことをやります」という人は、永遠に拒絶される。
2017年10月6日
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