こんな非常時に宗教なんて?


(1)
都知事が「天罰だ」といったのは間違いで、不謹慎だと思います。

日本人は勤勉にやってきた。もし日本に天罰が下るのであれば、日本から何度も助けてもらってきた韓国や中国はどうなの?

だからといって、「天罰」という考えが間違いであるとは思わない。

科学的ではない?

科学では、神の存在・非存在、神の刑罰の存在・非存在は扱えません。

科学ってのは、データを集めることができないような分野に適用できませんから。

「私は神を体験した」という人がいても、そのような証言を集めて、データ化して神の実在・非実在を実証することはできないでしょう。その体験が本当であるか嘘か誤解、妄想であるかは評価しようがないから。

だから、現代の科学、経験科学の前提は、「宗教的知識、倫理、意味の分野に関しては、科学的認識論は通用しない」ということになっている。

だから、科学者は、それについて何も言えない。

「それが天罰であるかどうかはわかりません」ということに落ち着く。

これで落ち着けないならそりゃ、科学者ではなく、宗教家です。

(2)
例を出すと、絶対に開けることができない部屋があるとします。

その中に何があるかわかりません。

そういった場合に、科学者がいえることは、「何があるかわからない」ということだけであって、「何もない」ではない。

だから、死後の世界について、「ない」とは言えないのです。

だから、それが荒唐無稽だとかばかげているというような判断は下せない。

あくまでも、宗教や死後の世界、意味については、主観的な判断しかできない。

もちろん、自分が科学的であろうとする人にとっては、ということです。

科学的原理を貫く気持ちがない人はこの場合除きます。

(3)
とくにオウムやイラク戦争以来、「宗教ってのは、自分の利益の追求のために信者をごまかして金集めをするとんでもないもの」という認識が広がっていますが、これは不幸なことです。

なぜならば、われわれ人間は宗教的存在であり、宗教から離れることは絶対にできないから。

「俺は科学だけでやっていく」という人はいないでしょう。

そんな考えは、今回の災害のような激変で吹き飛ぶ。

人間は意味を求めるし、科学で知りえない死後の世界などを求めるから。

神仏に助けを求めたことのない人はひとりもいない。

みんな人生の中で、何度か「偶然にしてはできすぎている」体験をしている。

だから、宗教を否定することは、自分をごまかすことに等しいと思います。

宗教は、真剣に取り組むべきものだから、非常時こそれについて深く考えるべきだと思います。 .

 

 

2011年3月14日

 

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