精神的な健康を保つには?2
善良な人は精神を病みやすい。
なぜか。
悪魔につけ入れられる余地がたくさんあるから。
素直な人は、とくに隙がたくさんある。
たとえば、統一協会は田舎から上京してきたばかりの人を狙う。
「手相を見せてください」とか近づいて。
入ると非常に歓待してくれる。
暖かい交わりがある。
それでコロッと洗脳される。
悪人は、人を信じないし、自負心が強いので、人の言葉に動かされない。
ロシアの殺人鬼チカチーロは、裁判の席上で被害者の家族の罵りの中、上を向いたり、笑ったり、右の耳から左の耳に抜けるような感じで、まったく落ち込んだ様子がなかったという。
(ただし、彼らは逆の意味で悪魔にやられているのだが。)
教会は、新しいクリスチャンに対して「隙を作ると際限のない鬱の中に陥る」と警告すべきだ。
「善良すぎる」のはよくない。
神に対しては素直であってもよい。なぜならば、神には悪意がまったくなく、人を利用しないから。
祈りの中で自分の心の中にあるものをすべて吐き出してよい。
しかし、人に対しては素直になると致命傷を負うことがある。
信頼している人であっても、油断できない。なぜならば、その人に入ることを悪魔は狙っているから。
あなたに対して影響力のある人を動かせばあなたを動かすことができると悪魔は考えている。
中韓が今日本にやっていることを見れば、悪魔のやり方がわかる。
日本人から自信を奪おうとし、マスコミを通じて日本経済がダメであり、少子化によって将来は暗いと宣伝する。
日本への影響力を示すために、爆買いを奨励する。
日本側に中国人を受け入れる態勢が整ったときに、関税を引き上げて爆買いをやめさせる。
日本側に「やっぱり中国を怒らせたら大変だ」という思いを抱かせようとしている。
中国と同様、悪魔には力がない。
なぜならば、十字架においてすでにイエスは悪魔に勝利されたから。
イエスは「私は世に勝った」と言われたが、「勝つ」と訳されている単語は本来「征服する」という意味の言葉であり、しかも、完了形が使われている。
ギリシャ語の完了形は「過去に実行され、その効果が今も続いていること」を強調する。
つまり、イエスの世界征服は今も継続中である。
この世界の王はイエス・キリストであり、悪魔はすでに凱旋の行列に加えられた捕虜である。
だから、悪魔の策略は「心理戦」に偏るのである。
「クリスチャンを弱虫にしよう」と画策している。
「本当はものすごい力を持っているのに、持っていないかのような気持ちにさせる神学を作って広めよう」と考えて作り出されたのが、ディスペンセーショナリズムである。
「キリストの千年王国は、再臨に続いて実現する」と。
「だから、今の世界でクリスチャンは王ではない」と。
ディスペンセーショナリズムによって信仰を奪われたクリスチャンは無能化した。
その間、せっせとヒューマニズムは世界を席巻し、世界政府建設の一歩手前まで来た。
クリスチャンになって鬱になる人のなんと多いことか。
神学がおかしい。
そして、教会がクリスチャンに「あなたは悪霊のターゲットなのですよ!」と教えていない。
悪霊について教えないので、新しいクリスチャンは、単なる精神的問題や生理現象と錯覚し、病院に通う。
変な薬をもらって、かえって症状が悪化する。
今のクリスチャンは、教理的及び精神的に集中砲火を浴びているのだ。
だから、ポスト・ミレを信じなければならない。
イエス・キリストが「今」この世界の王であり、サタンは無力化されていると信じなければならない。
不信仰を悔い改め、「絶対に疑わないぞ」と心に決めて、「自分の気持ちに流されない」ように注意する。
マイナス思考が頭に入ったら「うるさい!出て行け!」と叫び、「イエス・キリストの御名によってマイナス思考の霊よ、底知れぬところに行け!」と命令するべきだ。
数々の戦いを経て、百戦錬磨になることがクリスチャンの目標である。
常に「イエスにあって」強気であること。
そうしないと、クリスチャンになってかえって精神的にしんどくなった、ということになりかねない。
2016年9月10日
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