藤原氏の日本におけるキリスト教の変遷


1.

日本の正規の歴史書や歴史学では、日本の謎、日本国の意味は解けない。

なぜならば、現象の世界は質的だけではなく量的に測られるからである。

たとえば、A大学の生徒は優秀で、B大学の生徒はそれに劣るとする。

世間的な評価からするとA大学はB大学よりも存在価値が高いと判断される。

しかし、B大学から世界を変えるような大発見をする研究者が現れたとする。

量的には優秀な人材を世に送り出したのはA大学なので、A大学が評価されるかもしれないが、質的にはB大学のほうが評価されてもよい。

東大よりも京大のほうがノーベル賞は出ている。

世間的には東大のほうが評価が高いが、世界を変えたという意味では京大のほうが優っている。

歴史の中では、実に多くのことが起きる。

量的に言えば、その「多くのこと」に目が留まるが、質的に言って「少ないこと」が非常に重要な意味を持つかもしれない。

歴史学そのものを変えるものがその少数のものに含まれているかもしれない。

だから、歴史を見るときに、歴史学者がどういっているとか、正統的な学会ではどういう評価であることは、一面の事実でしかない。

とくに、クリスチャンの場合、歴史に対する見方は世俗の人々とはまったく違う。

聖書では、歴史の中心的着眼点は「神の国の発展」である。

世俗の歴史学では、歴史の中心的着眼点は「政治権力の推移」である。

ネブカデネザル王が夢で見た像は、バビロン―メド・ペルシャ―ギリシア―ローマの世界帝国の興亡を示している。(ダニエル2章)

世俗の歴史学では、この世界帝国の興亡と政治的権力の推移だけに注目する。

しかし、聖書は、これを単なる政治的な出来事とは見ない。

これらの異教的な帝国を破壊する神の国の登場に着目する。

すなわち、ローマから現れた一つの「人手によらない石」、すなわち、神の国が、この像を打ち壊したという点に着目する。

キリストが打ち立てられた神の国が、異教の(つまりサタンの)国を破壊し、どんどん広がって世界中に満ちるという点に着目する。


あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。

そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。

この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。(ダニエル2・34-35、44)

神を除外した歴史学において、この部分は考慮されない。

超自然的だからだ。

しかし、クリスチャンは、神の国が「全土に満ち」るということを強調する。

つまり、イエス・キリストが紀元70年に確立された神の国は、歴史を通じてサタンの国を破壊していくということを学ぶ。

それゆえ、歴史学で常識とされていることを基準に考えることはできない。

もちろん、歴史学を捨てろというわけではない。

歴史において何が起きたのかを知ることは重要であるから、歴史学の成果を取り入れるべきだ。

しかし、われわれの歴史に対する見方は、「量」によってではなく「質」によって影響されるべきだ。

書店にどれだけの本が並び、学校でどれだけ教えられているかなど関係ない。

「神の国が世界を支配する」と教えている学校などない。

何がメジャーか、など関係ない。

聖書が何を主張し、それが歴史においてどのように表れているのか。

そして、聖書的に、今の世界情勢において、何が重要なのか。

そういう点をピックアップできる目を養うべきだ。

だから、日本の歴史についても、従来の歴史学がどう考えてきたかなど参考程度にしかならない。

われわれは、無数の事実の中から、聖書的な意味をピックアップできなければならない。

世俗歴史学に影響されている人々は、われわれのような「日本国の意味探し」を異端とみるだろう。

しかし、われわれは、神の御心を日本の歴史の中に見ようとする。

そういう意味において、メジャーな見解や常識にとらわれてはならない。

2.

われわれが歴史を見るときに重要なのは、紀元70年以降は、神の国の発展の歴史だという視点である。

神が日本において何をなさったのか。

日本においてキリスト教はどう伝わり、どのように確立されたのか。

日本のキリスト教史がザビエルに始まるなどというのは、愚の骨頂である。

ザビエルは、イエズス会士であり、悪魔側の人間である。

そんなものはキリスト教でもなんでもない。

われわれはそのような似非キリスト教の歴史ではなく、真の福音伝道の歴史である。

実は日本には本当のキリスト教が伝えられ、それが確立されたが、ある時に隠されたのではないかと私は考える。

そして、飛鳥氏や他の研究者の著作から、それを示す様々な事実が掘り起されていることを学び、研究が続いている。

3.

まだ人々の目から隠されているようだが、日本国の真の意味はカゴメ歌に示されている。

藤原氏が支配する体制において、物部氏のキリスト教は堂々と表明することができなかった。

それゆえ、物部氏(八咫烏)は、それを童謡や童話の中に隠した。

いずれ解き明かす人が現れるだろうと期待しつつ。

私は、それが今実現したと考えている。

4.

空海に対して洗礼を授けた恵果は、「日本は密教の本場だ。だからあなたは日本にすぐに帰りなさい」と言った。

学びに行ったのに、学ぶべきものがそこにはなく、本当は日本にあった、だから、2年で帰ってきた。

では、この密教とは何か。

それゆえ弘法大師空海は、密教が顕教と異なる点を『弁顕密二教論』の中で「密教の三原則」[14]として以下のように挙げている。

法身説法(法身は、自ら説法している。)
果分可説(仏道の結果である覚りは、説くことができる。)
即身成仏(この身このままで、仏となることができる。)

いわゆるそれまでの小乗仏教(声聞・縁覚)が成仏を否定して阿羅漢の果を説き、さらには大乗仏教が女人成仏[15]を否定し、無限の時間(三阿僧祇劫)を費やすことによる成仏を説くのに対して、密教は老若男女を問わず今世(この世)における成仏である「即身成仏」を説いたことによって、画期的な仏教の教えとして当時は驚きをもって迎え入れられた。この点での中期密教と後期密教との差異はというと、中期密教は出家成仏を建前とするのに対して、後期密教は仏智を得ることができれば出家や在家に関係なく成仏するとしている点である。
(Wikipedia―密教)

まさにキリスト教である。

「成仏=クリスチャンになること」と考えれば、「老若男女を問わず今世(この世)における成仏」とは、「キリスト教の普遍的現世救済」と同じである。

恵果は、このような教えの本家は、日本にあるといった。

恵果は景教徒、つまり、クリスチャンである。

クリスチャンが、日本がキリスト教の本家であるという。

恵果は、物部氏(秦氏)のキリスト教について知っていたのだろう。

では、空海はなぜキリスト教の教えを仏教として広めたのか。

政治権力者による迫害があったからではないか。

だから、福音を伝えるために、仏教として伝えた。

『大秦景教流行碑』の写しが高野山に建てられたのも、ゴードン夫人が空海の教えがキリスト教であると知っていたからではないか。

それ以降、日本の仏教の立役者たちの主な人々は、秦氏である。

日本における福音伝道は仏教という形に変わって伝えられた。

しかし、残念なことに聖書そのものが消されたため、教えがまがってしまった。

であるから、私は、これらの仏教をわれわれが取り入れるべきだとは考えない。

「キリスト教の影響のある教え」であって、信仰の対象にはならない。

5.

藤原氏が支配していた日本においては、このように、キリスト教は裏に回り、異教の外貌を呈するしかなかった。

われわれ日本人クリスチャンの務めは、一つ一つこの異教のベールをはがしていくことである。

その過程で、日本がまったくの異教文化ではなかったということが明らかになっていくだろう。

 

 

2015年7月23日



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