天皇は祭司である


天皇を神とした戦前の政府は決定的な間違いを犯した。

なぜならば、天皇は祭司であって、祭司は神ではないから。

昭和天皇ご自身が「私は神ではない」と言われた。

イスラエルの統治機構から考えると、王、祭司、預言者の三重の権威はキリストだけにある。

神的システムでは、この三重の権威をそれぞれ違う人々が帯びる。

だから、現代ではそれぞれ政府、天皇、学校が役割を分担しているわけである。

天皇を神的な存在にまで高め上げることは聖書的ではない。

しかし、普通の権威にまで落とすこともできない。

やはり国民の統合の象徴(そして、国民のために祈る牧師)としておられるのがいいと思う。

戦前の立憲君主に復帰すべきだろうか。

権力の分散という意味から、そうではないように思う。

ちなみに、クリスチャンは、上記の三重の権威を帯びている。すべてのクリスチャンは、王、祭司、預言者である。

だから、真に聖書的な理想の体制とは、クリスチャンが、政府、天皇、学校の主体になることにより実現する。

ここで、クリスチャンである天皇は全国の教会のリーダーのようなものになる。

このような体制に一日も早くなるように祈ろう。

 

 

2012年10月25日



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