言葉の真実は社会を維持するための土台である
さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。
地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。
あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。
だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。(マタイ5・33-37)
偽証とか偽誓が許されるなら、社会は崩壊する。
真実を究明する裁判や研究などにおいて、その成功は、証言を行う人間の誠実さに大きく依存している。
それゆえ、神を恐れない偽りの社会では、真理を明らかにすることが非常に困難であり、それゆえ、むき出しの力が支配する。
国民が真実とか正義を大切にしない中国のような国では、権力者がやりたい放題をやる。
どうせ証言者が嘘をつき、裁判官も真実を求める気がなく、賄賂で社会が動くのであれば、正直に生きる意味がない。
正直者が馬鹿を見る社会では、できるだけ自分や家族などの利益を確保するために地位を利用して私腹を肥やそうということになる。
これはすでに国が崩壊しているのと同じである。
神はこのような体制を裁かれる。
神は主権者として、地上を御心を行う人に管理させることを望んでおられるので、賄賂や偽証が横行する社会を滅ぼされる。
偽証や偽誓は、社会の根幹を作るきわめて重要な要素に対する違反であり、それゆえ、厳罰に処する必要がある。
イエスがこの箇所で言われたのは、誓うことそのものが悪であるということではない。
パウロは、誓願を立てたが、聖書はそれを非難していない。
パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。(使徒18・18)
誓うことそのものが悪であるならば、神ご自身が罪を犯したことになる。
そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。(ヘブル6・17)
誓いそのものが悪であり、禁止されるべきであるならば、逆に裁判や国会など社会の基本システムが成立しなくなる。
イエスがこの箇所で言われたのは、「自分の言葉を強めるために、神を安易に利用すること」である。
社会が堕落すると、言葉に偽りが増えるので、自分の中にそれほど確信もないのに、「誓って言う」というような言い方がはびこる。
だから、イエスの時代、イスラエルには神への恐れがなくなっていたことがわかる。
日常においても、裁判においても、軽々しい誓いがはびこり、神の権威が軽々しく利用されていたのであろう。
これは、十戒への重大な違反である。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。(出エジプト記20・7)
神をあたかも自分の僕のように利用する姿勢。
人間が主になり、神が従者になっているような社会。
この堕落した社会には、刑罰が下る。
私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい。」を「はい。」、「いいえ。」を「いいえ。」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。(ヤコブ5・12)
偽証や偽誓には、裁きが伴う。
嘘や偽りが常習化した社会は、崩壊の一歩手前である。
中国や韓国のように嘘を平気でつく社会は、それゆえ、自立できないのである。
真実が土台とならないので、内部から崩壊していくから、外国の植民地になる。
日本のように、奈良時代から続く企業が存在するような社会は、嘘や偽りに対して厳しい。
何年か前に、プライドか何かで桜庭選手と対戦した在日朝鮮人の選手が体にオイルを塗って出場したということがあった。
この不正に対して、日本人は、この選手を長い間赦さなかった。出場するとブーイングが起きた。
しかし、彼は韓国においてすぐに英雄になった。
どうやら、韓国では、ズルをすることを恥と思わないようだ。
不正に対して一般人の間に拒絶が起こらないようになったら日本も終わりだ。
神への恐れ、そして、神に対して誓うことに対する恐れが消滅したら、なにもかもめちゃくちゃになる。
言葉の真実は、社会を維持する土台である。
2012年11月1日
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