日本人がこの事実を受け入れるべきときが来た
日本が昔キリスト教国であったというと、びっくりされるかもしれないが、キリスト教には、西洋に広まったものと、東洋に広まったものとがあった。
中国で広まった景教が、日本にも広まっていたのである。
景教を担ったのが東西交易の主役であった波斯人(ペルシャ人)たち。
聖徳太子の母親穴穂部間人姫皇女は間人(波斯人)。
古代日本には、シルクロードを通じてやってきたペルシャ人、そして、ペルシャに居住していたユダヤ人が、けっこういて、しかも、政権の中枢部分にいたと考えられる。
彼らが西域の先進技術や宗教を持ちこみ、それが日本に多大な影響を与えたと考えても不合理ではない。
古代日本の有力な氏族であった秦氏の氏寺広隆寺が景教の寺院であったということは、明らかなので、当時の日本がキリスト教国であったと考えることは、非科学的でもなんでもない。
クリスチャンが異なる神を信じていたはずはないので、秦氏の氏社である稲荷神社も八幡神社も、景教の寺院であった。
つまり、全国にある無数の神社は、もともとキリスト教の教会だった。
日本人がこの事実を受け入れるべきときが来た。
2016年10月7日
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