プレ・ミレは「この世の自分の知恵」に信頼する教えであ


統治主義は「再臨前に千年王国が実現する」と説くので、キリスト教の外貌のもとで、闇の勢力が裏で糸を引く構造になっています。つまり、統治主義では、表面的にはキリスト教ですが、実際はサタニストが後ろで糸を引いていることが起きやすい。
前千年王国説の場合は、全知のイエス・キリストが再臨された世界が現出するのですから、そのような「裏で糸を引く構造」はできません。

「キリスト教の外貌のもとで、闇の勢力が裏で糸を引く構造」は、「再臨後に千年王国が実現する」と信じるディスペンセーション主義の前千年王国説の社会でも同じように現れます。

「いや、イエス・キリストが再臨された後、全知であるイエス・キリストは、闇の勢力の暗躍を許されないでしょう」と言うかもしれません。

しかし、前千年王国説の場合、世界は大反逆の頂点でキリストの再臨があるのですから、その時点で、世界のほとんどの人は反キリストになっており、サタニスト、イスラム教徒、仏教徒、共産主義者、無神論者が世界には無数にいます。

このような状況で再臨されたイエス・キリストは、その一人一人を監視され、闇の勢力を一つ一つ潰していくことになる。

イエス・キリストの部下として働くクリスチャンたちが彼らの陰謀や反逆を実行部隊として鎮圧する。

10億を超えるイスラム教徒を従わせるには、何人のクリスチャンの実行部隊が必要でしょうか。

無数の反逆分子が様々な陰謀を企てるでしょう。

中には「われわれはクリスチャンです。神の国のために働いています」と言いながら、陰でキリストの支配を覆そうとする者も現れるでしょう。

結局、「表面的にはキリスト教ですが、実際はサタニストが後ろで糸を引いていることが起き」る。

「いや、イエス・キリストは全能なので、彼らの鎮圧は瞬時に可能でしょう」というだろうか。

私はこれに対して「イエス・キリストが全能であっても、やることはヒトラーの恐怖政治と同じことになりませんか?」と問いかけます。

ヒトラーがSSを派遣して暴力的に諸国民を従わせたようなことになりませんか、と。

千年王国の実現を全能なるイエス・キリストの再臨に求めることは、暴力的・強制的な支配の容認につながります。

「いや、イエス・キリストは人々の心を変えて、喜んで従うようにしてくださる。イスラム教徒も再臨のイエス・キリストのご威光を見て回心するだろう」と言うだろうか。

では「大宣教命令」とは何なのか。

神は「宣教のことばの愚かさを通じて人を救うことをよしとされた」という箇所をどう解釈するのか。

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。(1コリント1・21)

「再臨のキリストのご威光を見て回心する」というのは「自分の知恵によって神を知る」ことと同義である。

神が人々を回心に導く方法は「威光を見せること」によってではなく、「宣教のことば」による。

「宣教のことば」を聞いて「心で信じる」以外に回心の方法はない。

ウルトラマンのような超人が世界を救済しにやってきて、その偉大な姿を目撃した人々がたとえ回心をしたとしても、それは偽ものである。

救いとは「十字架につけられた無力なキリスト」を信じる信仰によってもたらされる。

統治主義(再建主義)は、「宣教によって弟子化が進む中で社会の圧倒的大多数の構成員がキリストの支配を望むようになる」と唱え、「そのときにはじめて、人々は、キリストを王とする政治体制を望むようになるだろう」と説く。

イスラム社会が変わるのは、「キリストの威光と威力を見ること」によってではなく、イスラム社会の構成員に福音が伝えられて、一人一人が回心を経験し、まったく新しい人になり、キリストに積極的に従うようになり、その圧倒的な大多数が「自ら望んで」キリストの御支配にふさわしい政治体制を望むことのみによるのである。

ディスペンセーション主義の前千年王国説(プレ・ミレ)は、「この世の自分の知恵」に信頼する教えであり、再建主義は「宣教のことばの愚かさを通じて働かれる神の力」を信じる教えである。

 

 

2018年12月10日



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