イエズス会は、ユダヤ教の組織である5
イエズス会の解散を命じた教皇クレメント14世は、1774年9月22日に毒殺された。
ユダヤ人にしてイエズス会士、反宗教改革の牙城であったイエズス会の大学インゴルシュタット大学の教授であったアダムズ・ワイズハウプトがイルミナティを設立したのは、その2年後の1776年であったと言われている。
しかし、元イエズス会司祭のアルベルト・リヴェラによると、オカルト秘密結社イルミナティの設立は、それよりもかなり前のことであった。
イルミナティは、事実、イエズス会の創設者イグナチウス・デ・ロヨラがかつて指導者を務めていた秘密結社アランブラドスの復活体であった。
(SIDNEY HUNTER, IS ALBERTO FOR REAL?, Chick Publications, p. 21-23 (1988).)
イルミナティの真の創設者は、イエズス会将軍ロレンツォ・リッコであった。
ワイズハウプトは、リッコの弟子であり、フロントとして利用された。
イルミナティは、1773年に教皇による弾圧のため地下に潜らねばならなかったイエズス会がロスチャイルドと共同で設立した組織であった
ワイズハウプトの当初の目的は、教皇によるイエズス会への弾圧に復讐し、すべての宗教を根絶し、世界の諸政府を破壊して、単一の世界政府を作ることにあった。
通常、イルミナティはこの世界政府を「ニュー・ワールド・オーダー」と呼ぶ。
イルミナティの神とは、サタンである。
(WILLIAM STILL, NEW WORLD ORDER, The Ancient Plan of Secret Societies, p. 79 (1990).)
エリック・ジョン・フェルプスのThe Vatican Assasinsによると、
[1773年の教皇クレメント14世による弾圧から1814年の教皇ピウス7世までの間の]41年間は、イエズス会にとって黄金の時代であった。ロヨラの弟子たちは、ドミニコ会の司祭たちを含むすべての敵を倒し、フリーメイソンとの関係を確立し、ロスチャイルド家との協力関係を樹立してイルミナティを作り、マルタ騎士団を叩いて内部に吸収した…。…ポーランドを分割し、ローマ・カトリックの支配地域における結社活動禁止に関する教皇の勅書を無効にした。フランス革命を起こし、ブルボン朝の王とハプスブルクの女王の首を斬り、フランスとオーストリアから王室を駆逐した。フリーメイソンのナポレオンとともに、ブルボン家をスペインの王座から、ブラガンザス家をポルトガルのそれから追い出した。彼らは、昔の十字軍のように、回教徒からパレスチナを取り戻そうとすらした。
…
イエズス会は、ロシア正教会とドイツのルター派教会の内部、とくにチュービンゲン大学に深く侵入した。政治的には、イギリスの王室とイングランド銀行を支配した。そのため、イギリスは、パルメルストン子爵とともに、フランスと再び戦争することはなくなり、中国人に対して教皇のアヘン戦争を実行しようとしていた…。イエズス会は、世界中のローマ・カトリックの土地だけではなく、ヴァチカンと教皇の地位も獲得したので、サタンの教皇の職を占領した教皇カエサルは二度とイエズス会を弾圧しなくなった。
(ERIC JON PHELPS, VATICAN ASSASSINS: “WOUNDED IN THE HOUSE OF MY FRIENDS,” p. 205 (2001).)
2015年4月25日
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