社会的権威をだれに置くかを見れば信仰がわかる


クリスチャンでも、「○○神学校で博士?そんなのたいしたことない。国立大学で学位を取らないと」というような人がいる。

しかし、考えていただきたい。

聖書が究極の権威なのだ。

それならば、大学の権威よりも神学校の権威のほうが高いはずだ。

キリスト教文化圏では、職業的権威の序列はだいたいこういうふうになる。

つまり、一番トップが神学者や牧師、次に法律家や医者。

この順番が乱れている場合、それは、社会が聖書から離反していることを意味する。

聖書的社会では、法律であろうが、医学であろうが、科学であろうが、聖書の権威を超えることができない。

だから、人々は、聖書からのチェックを求める。

となると、神学者や牧師の意見が重要視される。

だから、社会的地位も上がる。

人間的にえらいとか立派だという問題ではない。

社会が何を尊重しているかだ。

何を尊重しているかが、職業に対する意識に影響する。

となると、現在の世界において、聖書がどれだけ軽んじられているかということだ。

聖書信仰を守るために戦っている人に対して敬意を払うことができないのはなぜか?

それは、聖書なんてどうでもいいと考えているからだ。

ここに自分の内面が表れる。

結局のところ、信仰というものは行動になって出ざるをえない。

だれでも、神の前で、裁判を受けることになるのだが、天国か地獄かの判決が下る際に神は何を言われるか。


人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」(マタイ25・31-46)

ここで、イエスは、「あなたは聖書信仰を持っていましたか」とたずねられない。

「あなたは、わたしに属する小さな者に何をしましたか」と問われる。

ここで内面がチェックされる。クリスチャンに対してどのように接したかにおいて信仰が表れる。

いくら聖書信仰でした、といっても、具体性がなければ意味がない。

具体的にクリスチャンが空腹であったとき、食べる物を与えたか?

だから、われわれの行動そのものが、われわれの価値判断を暴露するものなのだ。

神学校に対する軽視は、神学を軽視しているからであり、神学を軽視するのは、聖書を軽視しているからであり、聖書を軽視するのは、神を軽視しているからである。

「え、神学校出た?それが何?」というような価値判断しかできないクリスチャンは、実際のところ、「神様、それが何?」と考えているのだ。

 

 

2011年2月5日

 

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