ロスチャイルドのイスラエル国の神学であるシオニズムの基本は、「アブラハム契約はまだ成就していない」である。
アブラハム契約では、ナイル川からユーフラテス川までイスラエルは支配するとなっているという。
その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。(創世記15・18)
そして、この預言はまだ成就したことがないと。
この預言は成就したのだ。
イエスによって。
イエスは、「世界の王」になられたのだ。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」(マタイ28・18)
「いっさいの権威」が与えられているのであるから、全地の支配者であり、所有者である。
だから、イエス・キリストは、アブラハム契約を成就したのである。
これが、クリスチャンの立場だ。
それに対して、イエスを十字架につけた「武闘派」ユダヤ人、つまり、武力でローマから独立することを目指していた人々の子孫であるロスチャイルドは反発する。
「イエスはメシアではない。だから、アブラハム契約も達成していない」と。
メシアニック・ジューは、イエスを受け入れたとはいえ、この武闘派ユダヤ人の間違った思想をディスペンセーション主義を通じて捨てていない。
ディスペンセーション主義は、「ロスチャイルドのキリスト教」である。つまり、イルミナティのキリスト教。
ロスチャイルドの傀儡であるヤコブ・シフは、ディスペンセーション主義を広めるためにサイラス・I・スコフィールドに資金を提供して、スコフィールドバイブルを作らせた。
だから、ディスペンセーション主義でも、「イエスは、アブラハム契約を成就しなかった」と考える。
ディスペンセーション主義を信じるすべてクリスチャンは、メシアニック・ジューと同じように、「イエスは仕事をやり残した」と考えており、本当の意味においてイエスをメシアとして受け入れていない。
イエスは、「完了した」と十字架上で証言された。
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。(ヨハネ19・30)
この「完了した(Τετελεσται)」という語は、τελεω(成就する、成し遂げる、支払う)の完了時制である。
ギリシャ語の完了時制は「現在の状態を強調する」ので「今も成就している」ということが強調されている。
これは、明らかに人間の代表としてのイエスが、旧約のすべての契約(アダムが失敗した業の契約と、その後のすべての恵みの契約)を成就し、神が要求されたすべてのことをわれわれの代わりに達成したことを意味する。
イエスは旧約の完成者である。
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。(マタイ5・17-18)
イエスは、「律法や預言者(つまり旧約聖書)」の「全部」を「成就するために来」られたのである。
そして、「成就した(Τετελεσται)」と宣言された。
だから、旧約聖書のすべてが成就されたと考えるべきだ。
ディスペンセーション主義は、それゆえ、「半ユダヤ教」である。
「イエスは半分成就した。まだ成就していない部分がある。領土預言だ」というのである。
そして、その領土預言は、イスラエル国の建国を通じて成就しなければならないという。
そのためには、武力を使って侵略も許されると。
ディスペンセーション主義の「クリスチャン」は、それゆえ、イスラエルがガザの住民に対して行う虐殺に賛同する、または、黙認する。
われわれは、「イエスは旧約を完全に成就した」ということを確認しなければならない。
イエスは法的に世界の所有者であり、法的に領土預言は成就している。契約は成就した。