制度が問題なのか
1.
IT業界では、客先常駐というシステムがあるようだ。
自社ではなく他社(客先)に常駐して働くことを意味するという。
https://jochu-carrierup.net/jyochukiso/kyakujyotoha/
任される仕事は、大きなプロジェクトの一部をこなすだけの単純労働なので、スキルが身につくこともなく、職場でのいじめや差別の標的になることが多い。
このような労働形態をなくせ、という人も多いが、私にとって奇異に感じる。
なぜならば、どの業界でも単純労働をする人は必要であり、需要がある限り、労働形態も必要悪として存在し続けると思うから。
問題は、制度にではなく、労働者本人の生き方にあるのではないか。
単純労働がいやで将来が不安なら、なぜ別の道を選択しないのか。
スキルを必要とするので、単純労働から離れられない、というなら、単純労働をしながら専門の学校に通ったり、技術を身につけることのできる会社に入って「見習い」を続けるなどいろいろ方法があるだろう。
日本は身分制度がないし、職業選択の自由もあるので、一部例外を除いて、就きたい仕事があれば、努力次第で可能性は開けるはずだ。
2.
40歳になっても技術が身についていないような単純労働を強いられる職場に長年居続けることは、自分の未来を失うことと同義である。
20、30代のうちに、世の中で必要とされるようなスキルを磨き、一貫性のある職歴を築き上げるため準備するのは、MUSTである。
もしその職場が単純労働を強いて、自分のキャリアに不利に働くとわかれば、退職して新しい仕事を見つけるべきだ。
蓄積のない40、50代の人が新しい仕事を見つけることは難しい。
例えば、翻訳という仕事は、非常に専門性が高い。
文法の知識、語彙力、情報収集技術、表現力、納期を守るための計画性などが必要である。
こういうスキルは、仕事を通じて実践の中で積み上げるしかない。
そういう意味で、若いときには仕事を選ばずに、とにかく経験を積むべきである。
この経験がなければ、単に語学ができますと言っても使い物にはならない。
通訳として北方領土などで仕事をしていた人に翻訳を頼んだことがあるが、商品になるレベルではなかった。
通訳と翻訳はまったく違う仕事である。
3.
プロになるには、5000時間が必要だと言われる。
もし単純労働がいやで、高給の仕事に就きたいなら、そのための努力をし、オンザジョブで5000時間の経験を積む必要がある。
社会制度は完全ではない。
それに文句を言っても始まらない。
自分の生まれながらの能力や資質について文句を言っても始まらないのと同じで、世の中で変えることのできないか変えることが難しい制度や法律、慣習などについては、それを所与のフィールドとして受け入れる必要がある。
JRが、新しい路線を通す際に、動かせない山について文句を言っても始まらない。
「山はそこにあるのだ」という事実を受け入れた上で、じゃあ、どうやって山を乗り越えて線路を敷設するかについて考えるべき。
トンネルを掘るか、迂回するか、登って降りるか。
いろいろと解決策を探しているうちに、いいアイデアが思いついて問題は解決するだろう。
努力しないとアイデアは得られない。
4.
制度改革の必要を説くことも必要だが、完璧な制度はありえないのだから、際限がない。
経済的な問題なら「どうやったら金を稼げるか」について熱心に研究するしかない。
社会が変わってほしい、と願うだけでは、らちがあかない。
お金が集まるところに行くのは一つの方法である。
どういう人と付き合えばいいかとか、考える。
自由に生活したいなら、独立したらいい。
独立するためには、売り物がなければならない。
その売り物を手に入れるにはどうしたらよいか考える。
常にアンテナを張って、情報を仕入れる。
神は経済的自由、精神的自由、物理的自由を追いかける人を応援される。
祈りながら努力すれば必ず道は開ける。
2019年1月18日
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