人生を無駄にするか否かは、聖書を最高権威とするかどうかにかかっている
何度も言っているが、われわれを攻撃し、評判を落とし、落ち度を責め、貶めようとしても無駄である。
たとえわれわれを殺しても、神を殺すことはできないからである。
神は、ご自身の計画を成就するためにすべてを行われる。
全能の力によって、必ず事を成就される。
抵抗は無駄なのである。
神に敵対し、聖書に反する教えを唱え、それをまき散らす者の受ける刑罰は、地獄である。
地獄と言っても普通の地獄ではない。
もっとも熱くて、苦しい場所が用意されている。
教えは、神にとっても悪魔にとっても世界統治の中枢である。
人間は、何を信じるかによって、100パーセント変わる。
人間が変われば世界も変わる。
教えが異なる者どおしの連帯など一時的である。
最終的には教えの違いは、決定的な違いを生む。
だから、分裂は避けられない。
教えにおいて失敗する人は、人生の敗者である。
人生は無駄に使われた。無益な人生である。
この世において巨万の富を得て、名声を博し、権力を享受しても、永遠の地獄で一番熱いところに放り込まれたら、意味がないではないか。
「自分が信じたいものを信じてよい」という教えは、サタンがまき散らしたものである。
人間には、信じたいものを信じる自由などない。
人間の世界では自由である。
しかし、神の世界ではそうではない。
というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。(ローマ1・18)
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8・28)
2015年7月22日
ホーム