聖書が教えるとおりに教えるべし
善悪を区別する基準は聖書にしかない。
人間の良心が基準ではない。
良心は裏切るから。
たとえば、他人の畑の中に入って手でとって食べることは、われわれの良心に照らして悪である。
しかし、聖書では悪ではない。
政府高官に贈り物や賄賂を渡すことは、われわれの良心では悪である。
しかし、聖書では悪ではない。
人の贈り物はその人のために道を開き、高貴な人の前にも彼を導く。
高貴な人の好意を求める者は多く、だれでも贈り物をしてくれる人の友となる。
ひそかな贈り物は怒りをなだめ、ふところのわいろは激しい憤りをなだめる。(箴言18・16、19・6、21・14)
おまえのつかさたちは反逆者、盗人の仲間。みな、わいろを愛し、報酬を追い求める。みなしごのために正しいさばきをせず、やもめの訴えも彼らは取り上げない。
彼らはわいろのために、悪者を正しいと宣言し、義人からその義を取り去っている。
おまえの中では、血を流すためにわいろが使われ、おまえは利息と高利を取り、隣人を虐待して利得をむさぼった。おまえはわたしを忘れた。――神である主の御告げ。――
そのかしらたちはわいろを取ってさばき、その祭司たちは代金を取って教え、その預言者たちは金を取って占いをする。しかもなお、彼らは主に寄りかかって、「主は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上にかかって来ない。」と言う。(イザヤ1・23、5・23、エゼキエル2・12、ミカ3・11)
2012年7月15日
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