O・P・ロバートソンのThe Christ of the Covenants(O.Palmer Rbertson, "The Christ of the Covenants", P&R)は、聖書契約に関する重要な書物である。
契約とは、Bond in blood sovereignly administered(つまり、「神がお与えになる血の絆」)である。
「神が人々と契約を結ばれるときに、神は主権者として生死を支配する絆を主権的に開始される。」(4ページ)
神の契約の3つの点について述べる。
1.契約は絆である。
契約は人々を結びつける。
それは、断ち切ることのできない絆である。
契約を結ぶときに、人々は一体化し、運命共同体となる。
契約は口での宣誓に基づく。つまり、契約は、口で宣誓することによって結ばれる。
この口での宣誓には、贈り物や食事、記念碑の建設、血のふりかけ、犠牲の供出、杖の下をくぐる、動物を切り裂くなどの行為が伴う。(7ページ)
契約のしるしには、虹や割礼、安息日などがあり、契約が絆であることを象徴している。
2.契約は血の絆である。
契約は、血の絆、すなわち、生死を左右する究極的な関係である。
契約を結ぶときに、神は、偶然の、非公式の関係を人々と結ばれたわけではなく、双方の命がかかった関係に入った。
つまり、神との契約を破ることは死を意味する。
神がアブラハムと契約を結ばれた際に、神は、真っ二つに裂かれた動物の体の間を通られた。(創世記15章)
神は、「もし私が契約を破るならば、このように真っ二つにされても構わない」と言われたのである。
ヘブル語で「契約を結ぶ」は「契約を切る(karath berith)」と表現される。
それゆえ、罪の贖いの儀式では、動物の肉が切られたのである。
契約を結ぶ際に、儀式において動物が「切られた」。(9ページ)
キリストの十字架は、人間の身代わりとして、契約の呪いを受けたことを示している。
聖餐式のパンと葡萄酒は、契約における「切る」行為を象徴している。
また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。(マタイ26・26-28)
パンを「裂」き、「血を飲む」行為は、契約の呪いを象徴する。
3.契約は神がお与えになる血の絆である。
聖書も外典も「契約が神からの一方的な締結であることを示している」。(15ページ)
天地の創造者である神が、主権的かつ一方的に契約の条件を決定され、それを主権的かつ一方的に人間にお与えになる。
聖書における契約はことごとく、神の「下賜」である。
人間は被造物であり、神の決定に逆らうことができない。
神は契約を主権的かつ一方的に人間と結ばれる。
われわれの選択の余地はない。
恵みの契約を結ぼうと神が望まれた人だけが、その契約の中に入る。
わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。(ヨハネ6・44)