八咫烏の関係者曰く3


彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒の働き1・4-11)

1.

11月17日にエッセイ「民族的イスラエルの再興は、日本で成就したのではないだろうか」を書いた。

たまたま「八咫烏関係者の証言」を記録したビデオをユーチューブで見たのが19日。

これは、明らかに神の導きである。

17日のエッセイに対して、神が裏付けを与えてくださったのである。

読者からの反応はほとんどない。

しかし、このエッセイが将来的に日本と世界に及ぼす影響は計り知れない。

これは、選ばれた人のための知識である。

神が目を開かれた人しか、見れない。

1992年にK氏と出会って真名井神社の体験を聞いたときから、神は私をこの知識に導いてこられたのだ。

「救われたユダヤ人たちは、神殿崩壊後、一体どこに行ったのか?彼らは滅んだユダヤ人と同じように、異邦人の中に散ったのか?」

これは、重要なテーマである。

世界中のクリスチャンが、タルムードユダヤ人に騙されて「1948年に建国されたイスラエルこそが『再興された栄光のイスラエル王国』である」と信じ込んでいる。

しかし、よくよく調べると、このイスラエルは、ルシファー教の国である。

タルムードユダヤ人は、米軍を動かして、この国を建国し、維持し、領土を拡大し、世界制覇するためにアメリカ人、とくに、アメリカのクリスチャンたちを洗脳してきた。

この欺きを実行するために、紀元70年の再臨を見えなくしてきた。

イエスやパウロが何度も「この世代に起きる」と言っているのに、その御言葉を無視するように導いてきた。

再臨を未来に設定することによって、イエスが紀元1世紀に「律法と預言者を成就した」という事実を否定するように導いてきた。

「紀元1世紀におけるイエスの仕事には欠けがあり、やり残したことがある」と信じるように画策してきた。

「再臨がなければ、旧約聖書やイエスの預言や働きは成就しない」と信じ込ませてきた。

違う!!

イエスは十字架上で「テテレスタイ(目的を達成した)」と言われた。

これは完了形が用いられている。完了形は「現在もその状態が継続している」ことを強調する。

つまり、目的は達成され、その達成された状態は現在も続いている、という意味である。

旧約聖書をことごとく成就するというイエスの使命は、十字架上で成就し、今も成就したままである。

イエスは、律法を完全に全うされ、贖いも成し遂げられた。

この律法の成就がなければ、クリスチャンは自力で律法を守り、自力で贖いを成し遂げなければならない。

それは不可能である。

クリスチャンは、イエスを信じる信仰によって「のみ」これらを全うし、贖いを自分のものとする。

イエスを主とする契約の中に入る(イエスを救い主、人生の主として信仰し、洗礼を受け、礼拝し、聖餐を受け続ける)ことによって「のみ」、クリスチャンは、律法を完全に守り、罪責を完全に帳消しにできる。

紀元1世紀におけるイエスの御業が「徹底的」でない限り、われわれには救いはないのである。

それゆえ、「イエスにはやり残したことはない」。

「やり残しがある」というような考えは間違いである。

イエスは旧約聖書が預言したように、ユダヤ人の王として来臨された。

それゆえ、ユダヤ人はイエス・キリストを王とする「民族的イスラエル王国」に入った。

「再興された栄光のイスラエル王国」はイエスにおいて「紀元1世紀に」成就した。

その王国に入った人々は、初代教会のユダヤ人クリスチャンである。

2.

「いや、再興された栄光のイスラエル王国は、教会である」というだろうか。

もちろん、それは正しい。

教会は「普遍的・超民族的イスラエル王国」である。

ユダヤ人やギリシャ人、ローマ人、アメリカ人、ロシア人、中国人を問わず、あらゆる人々が入る「御国」とは、教会(エクレシア)である。

しかし、それだけなのだろうか。

救われたユダヤ人は、土地を失ったまま、異邦人の中に散って、民族的アイデンティティを喪失し、普遍化されていいのだろうか。

私はそのようには思えない。

「それなら、滅んだユダヤ人、つまり、世界に離散したタルムードユダヤ人と同じではないか」と考える。

「神は、救われたユダヤ人に土地を与え、一つにされたはずだ」と考える。

ギリシア人にギリシアという土地があり、ローマ人にローマ帝国という国があり、エジプト人にエジプトという土地があるように、救われたユダヤ人にも土地がなければならない。

私は、それこそが日本列島だったと思う。

救われたユダヤ人たちは、日本列島に移動し、そこで国を与えられたのである。

これは、聖書から考えて得られた結論である。

それはいわば外部から見た意見である。

しかし、神は内部から証言を与えてくださった。

12使徒の末裔である八咫烏から証言が得られた。

日本は原始キリスト教徒が作った国であると。

3.

イエスが

「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。」

と言われた後に、なぜ

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

と言われたのか。

これは、「紀元70年の再臨までの間、イスラエル国の再興は起きない」ということであり、「その間、ユダヤ人クリスチャンは一つところに集まるのではなく、宣教のために世界中に散ってイエスを証言しなさい」ということを意味する。

つまり「救い主の到来と贖罪の完成に関する福音を世界の諸民族に伝え、審判に対する準備をせよ」ということである。

紀元70年の再臨において、イエスは、全世界を裁かれ、羊と山羊を分けるように、救いと滅びをわけられた(マタイ25章)。

その審判のときまで、イスラエル国は再興されないとイエスは宣言されたのである。

紀元70年に、世界は一新された。

旧約世界に完全に幕引きがされ、新しい世界がやってきた。

この新しい世界とは、イエス・キリストを王とする世界である。

そのとき以来、イエス・キリストは、全世界を支配されている。

クリスチャンは、この地上で王であり、不死となり、サタンはキリストの足台とされている。

クリスチャンは、肉体を離れると同時に「御霊のからだ」を与えられ、天においてキリストとともに王として永遠に暮らす。

4.

ユダヤ人クリスチャンの国である「再興された栄光のイスラエル王国」が日本であれば、日本は滅亡することがない。

実際、日本は世界最古の国である。

大和王朝は、世界最長の王朝である。

天皇は、イエスの下においてイスラエルの王として君臨している。

女系天皇において皇統を断絶させようとする者には呪いがかかる。

歴史上、皇位簒奪を企てる者には、ことごとく裁きが下って断念せざるを得なかった。

5.

ルシファーの国であるイスラエルが目の敵にしているのが、皇室である。

タルムードユダヤ人たちは、外堀を埋める形で、皇室解体のために働いてきた。

もしかすると、八咫烏の非秦氏化によって、内堀も埋められているかもしれない。

金鵄の中に世界政府とつながっている人がいる。

しかし、このような努力も無駄である。

日本が滅びるときは、世界が滅びるとき。

イエスが世界の王である限り、そのようなことは起きない。

 

 

2019年11月23日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net